ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語61
(姫路市塩町)
姫路藩勤王志士終焉之地碑

2022/10/26
1864年の「甲子の獄」で勤王志士8人が処分されたが明治の新政府によって称賛され1916年に碑が建った
 タコに骨なし/ナマコに目なし/ベニ屋のおっさん首がない
 1863年(文久3年)、幕末の姫路で起きた紅粉屋の主人、児島又左衛門暗殺事件の時に生まれた里謡である。河井屏山、江坂行正らの勤王派の面々は、又左衛門が藩内の佐幕派に通じる奸賊とみなして殺害し、生首を河原に晒した事件である。この事件は、国論を二分する勤王と佐幕の対立が姫路にも及んできたことを物語る。
 1853年(嘉永6年)ペリー来航、1860年(万延元年)桜田門外の変、1861年(万延2年)生麦事件等が起こっているにもかかわらず、姫路城下では、酒井家の姫路所替え100周年記念の祝賀行事等に酔っていた。
 「激動の世の中だというのに藩の上層部は何をやっているのか」。河井は、たびたび藩主酒井忠績に直談判し、尊王攘夷を説いたが、姫路藩は徳川家と存亡を共にすることを決定。1864年(元治元年)勤王の志士8人が処刑された。この事件は「甲子(※ルビ・かっし)の獄」と呼ばれる。
 明治時代になるとこれら勤王の志士たちは、新政府によって称賛されることとなり、1916年(大正5年)、碑が建立された。(森山)
【メモ】JR姫路駅から北西へ徒歩約10分。大蔵前公園内。