ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語60
「村のかじや」記念碑
(三木市上の丸町)

2022/09/28
古くから鍛冶屋で栄えた三木市では親しまれてきた小学校唱歌を残そうと資料館前に記念碑を建てた
 ♪しばしも休まず/つち打つひびき/とびちる火花よ/走る湯玉♪
 金物の製品、歴史、製造工程などを紹介する金物資料館。その正面に「村のかじや」の記念碑があり、近づくと懐かしいメロディが流れる。
大正期のはじめから小学校唱歌として親しまれてきた「村のかじや」。1977年の指導要領改訂で小学校の音楽共通教材から削除されるが、古くから鍛冶屋で栄えた三木市では、この歌を残そうという機運が盛り上がり、翌1978年12月8日に資料館の入口に記念碑が建立された。
 三木が金物の街として発展するきっかけとなったのは、1578(天正6)年、羽柴秀吉の三木城攻めだった。兵糧攻めで勝利した秀吉は、戦で荒れ果てた三木の復興のために、免税政策をとり、大工職人やその道具を作る鍛冶職人を呼び戻す。これが鍛冶の里・三木の出発になった。
金物は、のこぎり、かんな、のみ、こて、小刀など大工道具が中心。在来の倭鍛冶と渡来の韓鍛冶が融合して発達したとされ、江戸時代に鍛冶組合が組織されたのを機に、その販路は大阪、名古屋、江戸まで及んだという。(鍋島)
【メモ】神戸電鉄・上の丸駅下車、徒歩5分