ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語 46

2021/08/24
鳴尾球場跡地の碑
(西宮市枝川町)

 
 高校野球の始まりは大阪の豊中球場で1915年に行われた第1回全国中等学校野球大会。第3回からは西宮市(当時は鳴尾村)の鳴尾球場で開催。第4回大会のコメ騒動による中止を挟んで、1923年の第9回大会までこの球場で開催された。
 鳴尾球場は競馬場内に設置され、観客席は木造の仮設だった。第9回大会の立命館中学と甲陽中学の準決勝では、観客がグランドになだれ込み試合が中断。これを機に本格的な球場建設が構想される。当時、阪神電鉄はこの一帯を開発中で、これに球場建設が組み込まれた。こうして、1924年の第10回以降は甲子園球場での開催となり今日に至る。
 タイガースの本拠地であり球児の聖地として人気の甲子園だが、開発時には地域住民とのあつれきが起こった。鳴尾地区は、武庫川の支流の枝川などを埋立て農業などが営まれていたが、開発のために農地の売却とともに小作人の追い出しが行われた。これに対し、農民は1922年9月、鳴尾農民組合を結成。「農地を農民へ」の要求を掲げたたたかいが繰り広げられた。(鍋島)
【メモ】碑の場所は西宮市枝川町19。阪神甲子園からバスで10分。浜甲子園運動公園内。