ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語 47

2021/07/27
有本芳水之碑
(姫路市飾磨区)
 
 有本芳水(本名・歓之助)は、1886年(明治19年)兵庫県飾西郡田村(現・姫路市飾磨区)で生まれた詩人・歌人である。
 岡山市の関西中学校に入学。在学中から詩を作り、同人雑誌「白虹」に参加。上京して早稲田大学高等師範を卒業後、実業之日本社に入り、「日本少年」の主筆として活躍。若山牧水や正富汪洋らと作歌を行い、与謝野鉄幹や晶子らの先進を敬慕した。詩は当時の少年の読者に愛誦され、文学者にも大きな影響を与えた。
 1945年、夫人の生家のある岡山県上道郡に疎開したのをきっかけに、そこに居を移し、その後、吉備学園や岡山商科大学、岡山大学でも講師をするうちに、この地を第2の故郷と決め、1976年永眠した。
詩碑は、岡山の後楽園等、岡山県にも多い。
 「芳水詩集」の「序」には、「この詩集をよまれたる人達よ!卿はこの集の中に、巡禮と、赤き灯と、脚胖と、すげ笠なる文字の餘りにも多きに驚き給ふらむ。また旅という文字の餘りにも多きに眉をやひそめたまふらむ」とあり、「旅にしあればしみじみと 赤い灯かげに泣かれぬる」とある。
 碑は、芳水の叙勲と長寿を祝い、1966年、生誕の地近くに建てられた。
(森山)
【メモ】山陽電鉄飾磨駅から南へ徒歩約3分。
 



1886年に現・姫路市飾磨区に生まれた詩人であり歌人である有本芳水の碑が生誕地の近くに建っている