ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語68
残念さんの墓(尼崎市杭瀬新町4丁目)

2023/07/12
【写真説明】禁門の変で敗れた長州藩士、山本文之助の墓。「残念、口惜しい」と繰り返しながら自決し「残念さん」と呼ばれた

 1864(元治元)年の禁門の変で敗れた長州藩士の大半は、長州へ落ちのびたが、なかには幕府側に捕まったものも。
 足軽の山本文之助もその1人で、尼崎の大物で捕えられ、その日のうちに留置された会所内で「残念で口惜しい」と繰り返しながら自決する。
 この藩士の噂が広がり、いつしか「残念さん」と呼ばれるようになる。「残念さん」の墓に祈願すれば、どんな大病でも全快するといった俗信が広がり、大勢の町民が押し寄せるようになったという。
 幕末動乱のこの時期、物価高騰などで人びとの暮らしが悪化し反幕府の気運が高まる一方で、京を追われた萩藩への同情と長州贔屓の動きが各地で見られるようになる。京都では「長州おはぎ」が大流行し、大阪や播磨では、長州の勝利を祈る「長州踊り」も流行った。
 「残念さんの墓」がもてはやされるのも、こうした風潮があったからだろう。明治維新へと時代を動かしたのは、志士たちだけでなく、生活に困窮した人々の激しい不満が後押した。
「残念さんの墓」は、その意味で市井の人びとの記念碑とも言えなくもない。(鍋島)
【メモ】阪神・大物駅下車。北東へ400m。杭瀬東墓地内。