新社会兵庫ナウ

私の主張(2022年8月24日号)

2022/08/24
核兵器は存在してはいけない絶対悪の兵器だ
 

 ロシアのウクライナ侵攻でロシアのプーチン大統領の核兵器使用の可能性をちらつかせる発言に世界は核戦争が現実になる恐れを覚えた。実際、この状況で安全保障という名の下、対抗できる軍事力を持たなければと、その増強を急ぐ国が増え、緊張が高まっている。
 だが、安全保障を軍事力増強に頼っていては際限がない。仮想敵国が一定の力を持てば常にこれを上回るものを持たねばならない。すでに世界には地球を何度も破滅してしまうほどの核兵器が存在すると言うが、一度破壊されればすべてが終わってしまうことは自明の理であり、その存在は人類にとって危険極まりないのである。
 核兵器の使用は、第2次世界大戦における広島・長崎以降は避けられてきたが、キューバ危機をはじめ幾度となく使用寸前の状況があった。結果として思いとどまったのはたんに幸運であったと言われている。
 そのような中、今年は核兵器に関するいろいろな動きがある。
 核兵器禁止条約の発効から1年半、6月21〜23日に条約の第1回締約国会議がウイーンで開かれた。署名・批准国、オブザーバー国(NATO加盟国でありながらドイツ、ノルウエー、オランダ、ベルギーはオブザーバーとして参加している)、市民社会の代表者、被爆者など多くが参加し熱心な協議が交わされた。
 会議の最終日にはウイーン宣言が採択された。宣言は16項目からなり、核兵器がもたらす非人道的な結果や環境に及ぼす重大な影響などにも触れ、既存の条約、例えば核兵器拡散防止条約(NPT)などはこれらを尊重し、お互いに補完する関係であるとしている。
 中でも日本政府によく考えてほしい項目がある。それは、「一部の非核保有国が核抑止力を擁護し、核兵器の継続的な保有を奨励し続けている」という部分である。いわゆる「核の傘」に頼るということである。
 現在、日本政府がとっている態度は、核兵器をなくそうと言いながら実際にとっている動きはこれに逆行している。例えば、以前、アメリカが核兵器の先制不使用を主張したときに日本政府は即刻この方針を思いとどまるように伝えた。先制使用を辞さないということは、再び核兵器による被害者を生むことであり、広島、長崎の悲劇を再び繰り返さないとの反省と願いから9条を持つ憲法を定めた日本がとるべき態度とは到底思えない。
 もし、この先制不使用をすべての核兵器保有国が守るとすれば、どこかの国が使用しない限り、これに核兵器をもっては対抗しないのだから理論上、核戦争は起こらないことになる。しかしながら、意図的であれ、事故や誤作動であれ、核兵器が存在する以上、結果としてその使用に至る可能性は否定できないから確実な解決策は核兵器廃絶しかないと言える。
 核兵器はそのメンテナンスなど、これを保持しているだけでも莫大な資金が必要となる。この資金を地球環境の改善や戦乱・飢餓などによる人命を救助することに向けることが出来ればどれだけ人類に貢献できるであろうか。
 被爆者の生き残りの一人として日本政府が核兵器禁止条約を批准することを強く申し入れる。
 8月1日からは、コロナ感染症蔓延のため2年間延期となっていたNPT再検討会議が7年ぶりに国連で再開されている。岸田首相はこの会議に参加し演説を行った。日本の首相として初めてのことだと自画自賛したが、例えば、条約の第6条に定められた「核保有国は誠実に核軍縮に努めなければならない」とする取り決めがあるにもかかわらずこれが履行されていないことへの懸念などを述べるべきであった。今年の広島・長崎での平和祈念式典での首相あいさつも、核兵器禁止条約にふれることもなく全く進展のないもので終わってしまった。仮にも核兵器の廃絶を目指すと言うのであれば、唯一の戦争被爆国としてそれなりの責任と覚悟も必要であり、アメリカに追従するだけではなく、行き詰まっているNPTを核兵器禁止条約で補完するためこれを批准したいなどの提案があってもいいのではなかっただろうか。
 核保有5か国の共同声明でも述べているように「核戦争に勝者はなく、戦ってはいけない」、このことは正鵠を射ているのであり、お題目にとどまらず核保有国は是非ともこれを守ってほしい。
 かけがえのない地球は今を生きる我々だけのものではないことを忘れてはならない。核兵器は存在してはいけない絶対悪の兵器であることを改めて訴える。
立川重則(神戸市原爆被害者の会・会長)