新社会兵庫ナウ

私の主張(2021年6月22日号)

2021/06/22
コロナ禍で疲れ切っている学校
公教育のあるべき姿を見直す時
 
久保校長の提言に学び、広げたい

 2006年、60年ぶりに「教育基本法」が改訂された。この「新教育基本法」のもと、当時の安倍政権(とその下に設置された「教育再生会議」)は、「教員免許更新制度」「学校、教員の外部評価制度」「学校選択制」の導入等で、公教育の再生を目指し、教育「改革」を進めてきた。中でも、「教員免許更新制度」は、不適格教員を教育現場から排除するための制度と言われており、導入時から反対の声があったが、先般の免許失効の度重なる事例を経て、いま再び廃止に向けての声が広がろうとしている。
 一方、教育現場はどうだろうか。ますます過重になる教員の多忙化、管理強化、精神疾患による休・退職教員の増加、いっこうに減らない“いじめ”、不登校の子どもの増加、そして、このたびのコロナ災害による教育格差の拡大。公教育の再生どころか、さらに崩壊の一途を辿っているとしか思えない。
 その最中、大阪市立小学校の校長が大阪市の教育行政に対して勇気ある提言をした。ある元教員から「提言を読んでいて涙が出てきた。全くその通り。よくぞ言ってくれた!と感じた。現役の校長にもまだこんな人がいると思うと嬉しい。で、私は何ができるかを考える」という感想が寄せられた。今、私は、この提言に学び、広めることが、ひいては校長を”守る”ことに繋がると思っている。
 
 大混乱をつくり出した全国一斉休校
 コロナ感染が広がるなかの昨年2月末、安倍首相(当時)は、社会的影響も考慮せず、全国一斉学校休業の要請をした。子どもたちは児童館へ……この突然の要請に、学校も児童館も保護者も大混乱に陥った。子どもの放課後の居場所である児童館は、絶対数が少ない。しかも“密”を避けられない。にもかかわらず、学校がダメでなぜ児童館が良いのか、理にかなわない要請だった。そもそも学校の休業要請の権限は、安倍首相にはなく各自治体の教育委員会にある。教育・保育現場を知る教育委員会の主体性が求められた。
 
 今、子どもも教員も疲弊しきっている
 突然の学校休業で、子どもは3か月間の閉鎖的な在宅生活を強いられ、“生きる権利”、“学ぶ権利”が奪われた。子どもも保護者も強いストレス下に置かれていたことで家庭内でのトラブルが増え、それが虐待に、DVにとエスカレートしていった家庭もある。 
学校再開後は、疲れ切った子どもの心に寄り添うことよりも、夏期休業を返上して授業時間数確保のために教育委員会も学校も奔った。唯一評価できることとして、分散登校の期間、少人数学級を経験し、「顔が見える」「丁寧に教えられる」という声が現場の教員から上がり、文科省もこれを機に35人学級へと踏み出した。
 しかし今、「学校に行きたくない」といういわゆる“行き渋り(いきしぶり)”の子どもが増え、5月末現在、神戸市内で約500人の子どもが不登校になっている。
 
 コロナ対策にICT教育推進は必要なのか
 久保校長の提言では、大阪市内でオンライン学習への対応に苦しむ学校が相次いだことから、オンライン学習を基本とした大阪市長の判断を「子どもの安全・安心も、学ぶ権利も、どちらも保障されない状況をつくり出している」と批判している。
 オンライン学習は、文科省の推進するGIGAスクール構想の一環である。本来ならば学校で活用するためのものであったが、このたびのコロナ災害を機に、多くの自治体では1人1台端末を家庭用に配布することが”学ぶ権利”の保障につながるとし、前倒しで取り組んできている。しかし、住宅環境はもちろん、ネット環境やサポート体制はあるのか、経済的な負担が増すのではないか等の不安材料が多々ある。オンライン学習を決して否定するものではないが、すべての子どもの“学ぶ権利”が保障されているとは言えず、教育の機会や質の格差が拡大されていくだけなのではないかと危惧する。
 
 「今、価値の転換を図らなければ、教育の世界に未来はない」
 久保校長の提言では、「子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい。子どもたちに直接関わる仕事がしたいのだ。子どもたちに働きかけた結果は、数値による効果検証などではなく、子どもの反応として直接肌で感じたいのだ。1点、2点を追い求めるのではなく、子どもたちの5年先、10年先を見据えて、今という時間を共に過ごしたいのだ」と訴える。
 「今、価値の転換を図らなければ、教育の世界に未来はない」……学校、教育委員会、教員、保護者、そして私たちは、今、公教育のあるべき姿を見つめ直さなければならない分岐点に立っている。
小林るみ子(神戸市会議員)