新社会兵庫ナウ

おんなの目(2021年4月13日号)

2021/04/13
10年ひと昔というけれど

 東日本大震災から10年。震災関連の随筆やテレビ番組を目にする。記録や確認として大切なのに心に響かないのは、一人ひとりに人生があるように個人のそれぞれに違いがあるからと感じている。
 私はチェルノブイリ原発事故後から脱原発の市民活動を細々と地域の知人・仲間らとしていた。
 2011年3月11日の地震は自然現象として発生したが、東京電力福島第一原発の事故は、これまで生きてきた自分の在り方を根本からひっくり返すような衝撃だった。それまでと同じ暮らしができないし、していては原発を推進する社会を容認するような気がして気持ちがどんどん落ち込んでいった。今この瞬間にも津波で命も生活も奪われた人たちがいて、フクシマ原発の放射能漏れや更に大きな事故になる可能性があるのに。仕事で乗る通勤電車の中や混んだホームの人々の顔が無表情に見え、私は社会人も学生も目的地へ黙々とずんずん移動する姿の中に居ることに違和感をもち、息苦しく辛かった。
 学校教育の仕事なので年度末を過ぎればすぐに次年度の予定が確定され、ぼんやりしているうちに新年度となり辞職の機会を逃した。何とか1年を乗り越え2012年3月で区切りをつけた。
 その後は貸農園で畑仕事を始め、地元の高齢者配食や日本語教室のボランティアに参加しながら生活スタイルを変えた。近現代史の読書会「あけびの会」に誘われたのもその頃だ。以前の職場では話しにくかった政治や原発問題を遠慮なく話し、意見を聞ける場は楽しい。安倍政権が市民の声を無視して通した法案に対する抗議デモや集会に足を運んだ。全国の原発が全て止まったニュースは埼玉の母を見舞った入所施設で知った。経産省前のテント訪問や福井原発周辺の集会。そこに団塊世代ではない若い世代も加わる情景は、3・11の前とは違う未来につながる光のように感じている。
 4、5年前に観た渡辺えり一座の芝居で、ある出来事を通して心の声を伝えながら3・11の体験を語るひと、阪神・淡路大震災の体験を思いだすひと、そして戦争体験を語りだすひと(笑い満載)。先日観た映画「風の電話」は、岩手県大槌町で3・11の津波で家族を亡くした17歳の少女が広島から9年後の故郷に向かう旅の途上で、出会う人から様々な死生観をもらい、先に逝った大切な人と語り、“生きる”自分と向き合い、これからを生きるため再生の旅を描く。どちらも拭い切れない思いを重ねて次への歩み出しを伝える創作だ。
 コロナ禍で演劇や映画、アート活動が制限されているが、本当に必要なものだと再認識できた10年後の私がいる。(あけびの会 I・T)