新社会兵庫ナウ

おんなの目(2020年12月8日号)

2020/12/16
LGBTについて思う
 
 LGBTの人たちには生産性がない、と言った国会議員がいた。子を成すか否かで人を選別しようとする発想それ自体の非常識さは言うに及ばずだが、議員さんたちは、現在、子どもを一生懸命育てている同性カップルが多数存在することも知らないのではないだろうか。

 最初は世間の規範に従い異性と結婚して子どもを生み育てたが(性自認の強弱によりそれが可能な人もいる)、やはり無理が続かず離婚したLGBTの人
たちが、自分の子どもを新しいパートナーと一緒に育てているケースがまずある。それから、同性カップルとして暮らし始めてからやはり子どもが欲しいと考えるケース。女性どうしのカップルの場合、親しいゲイの友人に精子提供してもらって人工授精することも多いらしい。私が読んだインタビュー記事では、精子を提供してくれた男性もゆるい形で子育てに関わっており、親が3人で育てているとあった。

 インタビューでなまの声を読み、自分の子どもが欲しいとか、自分の手で子どもを育ててみたいとかいう気持ちに一般の人と変わりはないんだと思ったところで、私は自分の中にLGBTは特別な人たちだという意識があったことに気づいた。同じ人間なんだから、本当に変わりはないのだ。もちろん、異性愛であろうが同性愛であろうが、子どもを欲しいと思うか思わないかは人によって違い、外から強制されるものではない。もし不妊治療に保険が適用されるようになっても、それで不妊治療をするべきだという圧力が強まってはならない。日本は欧米に比べて養子という選択をする人が少なすぎると思うが、これもまた同質性を重んじる社会の特質と関係があるのだろうか。

 LGBTの旗印は虹だ。いわゆる女装の人たちにも性自認が男性の人と女性の人がおり、そのそれぞれに恋愛対象が男性の人と女性の人、両性の人がいて、単純ではない。生まれたときの性と現在の性自認がはっきり異なる人の中にも、ホルモン投与や手術を望む人と望まない人がいる。さらに、性自認が男女どちらでもないという人、性愛欲求がないという人も、自分を自分として認めてほしいと声をあげ、LGBTQという呼称も生まれた。まさに千差万別であるところが虹なのだろう。虹は7色にはっきりと分けられるわけではなく、その境界はグラデーションであらゆる色を含んでいる。

 ちょっとした違いをあげつらっては誰かをはじき出そうとするこの同質社会の中で、LGBTの運動は若者の共感も集めている。個々人が人として尊重される未来に向かう運動を応援し続けたい。
(H・N)