新社会兵庫ナウ

寄稿
あれも…、これも…、1989年12月29日だった(1) 今村 稔

2024/03/27

(1)株価が最高値を記録

 2024年2月23日の朝刊各紙は、前日の日経平均株価が3万9098円を記録し、34年ぶりに史上最高値を更新したと大きく報道した。34年ぶりということは、1989年12月29日の株価(3万8915円87銭)を超えたということである。バブルは絶頂であった。
 それをピークとして株価の上昇は止まり、わずか9カ月後の1990年10月1日には株価は2万円を割り50%割れの下落となった。バブルははじけ、日本経済にとって「失われた30年」と言われたデフレの時代が始まった。支配階級は、いつの世でも同じことであるが、自らが誘い込み落ち込んだ苦境からの脱出をはかるために、勤労者の生活を踏みつけ、バネにしようとする。アベノミクスはその典型であった。株価の上昇にその脱出口を見出そうと懸命になった。その裏側の現象として労働者の賃金は30年上昇を見ることなく実質的な生活は低下を強いられた。非正規雇用の労働者が急増し、貧富の格差は拡大した。これらが敷石となった物価上昇の道だった。
 「失われた30年」で私たちが見落としてはならいない大きなものの一つは、労働者階級の階級的精気と力の著しい後退であった。労働者同士の語り合い、腕(かいな)のつなぎ合いは影を薄めている。それを取り戻そうとする試みも弱まっている。私たちは、総評(路線)から連合(路線)への転換が落とした影と感じている。
 今回(2024年2月)、株価最高値更新について、独占資本や追随するマスコミの間には、光明が射したかのようなザワツキが起こっているが、その反面、疑念も提出されている。当然である。日本経済の足元をしっかり観測するならば疑念も晴れないであろう。
 1989年12月と現在の2024年を比べてみよう。
 89年では日本経済の「成長」は、アメリカからの「経済構造協議」という破壊的な集中攻撃にさらされていた。プラザ合意後、円高が加速し80円台へ。現在の150円に対して2倍近いものであった。足元の地盤の軟弱度は比較すべくもない。
 さらに現在は経済の軟弱度(「ぬかるみ」と言った方がいいか)と密接に絡み合う政治の劣化が露わである。それらによるショートがいつ起こるかわからない。国民は未来に明るさを感じることはできない。
 株価の更新記録で金融界、経済界がザワツイた1989年12月29日、兵庫の地ではもう一つの出来事が生じていた。
【以下、次号につづく】