新社会兵庫ナウ

私の主張(2023年8月9日号)
被爆78年 核兵器は廃絶するしかない 日本政府は核禁条約批准を

2023/08/09
 広島・長崎の被爆から78年目の夏がやってきた。この1年でも9千人余りの被爆者がこの世を去っていった。10年ほど前までだったろうか、被爆者は「われわれの目が黒いうちに」核廃絶を成し遂げようと励ましあっていた。しかし、昨今はそういう言葉が聞かれなくなった。それは必ずしもわれわれが超高齢化してしまったからばかりではない。あまりにもその望みに逆行すらする状況が多すぎるからであろう。
 今年5月19日から21日まで開かれた広島G7サミットは、そもそも期待をしていなかったがあまりにも酷かった。会議を前に米大統領との会談で核抑止力をより強固にする約束をとりつけるなど核兵器使用を前提としたものであった。広島ビジョンに至ってはロシアなどの核を非難する一方、G7諸国の核はこれをよしとするなど矛盾もいいところだ。かつて「きれいな核(原爆)」という言葉が使われたことを覚えている向きもおありだろうが同じことである。
 いまだに収束のめどが立たないロシア・ウクライナ戦争はNATOでの核共有やロシアによるベラルーシへの戦術核配備の示唆など一つ間違えれば核戦争が起こってしまいそうな状況にある。
 アメリカがウクライナにクラスター弾を供与することを表明する一方、ウクライナはすでにこれを使っているとの報道に反応したロシアのメドベージェフ前大統領はロシアもクラスター弾を使用するとし、第3次世界大戦ヘの進展の可能性を述べている。
 このように不安定な世界情勢の中、日本政府は大軍拡をもくろむ「安全保障三文書」を閣議決定した。5年間で43兆円の巨額軍事費を用意するというのである。
 頻繁に起こる、すでに常態化した地球規模での自然災害や、確実に来る大震災など人間の力では抗うことのできないことへの備えはしなくていいのだろうか。
 私は丸腰でいいとは思っていないが、軍拡競争には際限がないし、人々の経済生活を窮地に追いやる。紛争や戦争は人間が引き起こすものであり、外交努力で少しでも解決への道を見つけることが可能ではないかと思っている。またそうしなければ人類に未来はないだろう。
 日本の食料自給率は38パーセントと先進国の中では最低レベルであり非常に少ない。万が一非常事態となれば、いくら軍備があろうと、食糧の輸入ができなければ国民は飢えてしまう。兵器は食べられないのだ。
 あまり語られることはないが、戦争被害受忍論といわれるものがある。「戦争という国の存亡をかけた非常事態の下では、すべての国民は多かれ少なかれ生命、身体、財産の被害を耐え忍ぶべく余儀なくされるが、それは国民が等しく受忍しなければやむを得ない犠牲であり、国家は被害を補償する法的義務を負わない」ということである。戦争では命や財産がなくなっても国は一切知りませんと言い切っている。憲法の条文やその解釈を変えるなどして戦争のできる国にした挙句に戦争を起こし、多くの犠牲が出ても面倒を見ませんということだ。日本政府は最終的に国民を守らないのである。
 そのようなことは知らなかったとか、もしかすると結構多くの人がそこまでは考えていなかったのではないかと思う。でも、知らなかったでは済まないと思うし、国民はもっと国の在り方を注視せねばならない。生活に追われているから政治のことまで気を配る余裕がないとか、選挙にもいかないとか言っている場合ではない。若い人、これからの自分や家族を守り社会を支えていく立場の人たちこそ政治に関わっていかねばならないと思う。他人事やよその世界のことではなく、まさに自分のことであるという認識が必要だ。
 とりとめのないことを羅列してしまったが、被爆者の一人としてお願いしておきたいことがある。広島・長崎で原子爆弾が落とされてから78年間、戦争では核兵器が使用されていない。考えたくもないが、たとえば今のロシア・ウクライナ戦争の戦況が悪化して進退窮まった時に戦術核兵器が使用される恐れはないだろうか。いったん使用されれば78年前の核兵器とはその性能が全くの別物であり、計り知れない被害がもたらされる。戦争下において核兵器の使用判断か冷静に行われるか否か(本来使ってはいけないのだが)は甚だ疑問であるが、それ以外にもヒューマンエラー、システムエラーを含む偶発事故などでの予期せぬ使用もある。
 要するに不使用を確かなものにするのは核兵器の廃絶しかないのだ。核兵器禁止条約が採択されて6年余り、発効してから2年半を経過したが、まず日本政府がそして全世界の国々が加盟批准するように働きかけよう。
 そのために署名にご協力をいただきたい。
立川重則(神戸市原爆被害者の会・会長)