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『国労・ユニオン運動を指導した高松正雄先輩』

2023/04/25
 2月7日の早朝、スマホの音がなった。国労時代からの大先輩、高松正雄さんの弟さんから「兄貴が6日に亡くなった」と連絡を受けた。ビックリして出た言葉は「えっ!」だった。昨年12月末、長年活動を共にして来た4人が高松さんにモーニングに誘われて雑談したばかりだった。
 高松さんは2016年頃に肺がんが見つかり、入院するとの連絡があったので見舞に行った。「身体の調子はどうですか」と尋ねると、「放射線治療をしているが、治療後の1週間は熱が出て、しんどい」と答え、「世話になったなあ」と別れとも言える発言をされたことを思い出す。
 高松さんは1958年、高校を卒業後、1960年に国鉄高砂工場に就職、組合運動との関わりを持った。労組青年部長として活動していた1977年頃、マル生(生産性向上運動)攻撃で組合つぶしの組織攻撃を受けた。その反対運動の取り組みをする中で青年活動家が芽生え、組織するという成果が生まれた。その後、高砂支部の執行委員を担い、1984年、高砂工場の廃止、移転に伴う組合員の労働条件を守るため、業務の内容を要求にまとめ、団体交渉での整理に奮闘された。
 1995年の阪神・淡路大震災後、JRを早期退職されたが、退職後も東播地区での地域労働運動に関わられた。
 2001年、東播労連に加盟していた組合が連合に組織された際、東播労連の運動を「財産」として継承しないと、誰が地域の労働者の利益を守るのかと、そんな組織が必要だと残った役員で「はりまユニオン」を結成し、3年余りはりまユニオンの委員長の役職を担われた。市の清掃業務委託の問題、タクシー労働者の労働条件改善の取り組み、雇用が不安定な労働者の正規社員登用への取り組み、工場廃止反対運動等々、労働者の利益のために努力された。
 地域運動のみならず、政治活動にも力を入れた。日本社会党、新社会党で運動をされ、労働運動と政治運動を大切にされた。
 高校卒業から亡くなるまでの65年余り、働く人のため肺がんを抱えても続けられた運動には頭が下がる。
 高松正雄先輩のがんばりはユニオンの「財産」である。
岩本義久(はりまユニオン書記長)