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前代表 中田政子さんをしのぶ会
神戸空襲を記録する会が営む  6.26 薬仙寺

2022/07/13
関係者約60人が参列して故中田政子さんの残した功績や人となりをしのんだ=6月26日、薬仙寺
 昨年の6月26日に病気のため75歳で亡くなった神戸空襲を記録する会(岡村隆弘代表)の前代表の中田政子さんをしのぶ会が6月26日、神戸市兵庫区の薬仙寺で営まれた。
  しのぶ会には会の世話人やその活動で交流のあった人、中田さんの活動を支えた友人ら約60人が参列。神戸空襲を記録する会の活動を紹介したNHKのニュース番組に登場した中田政子さんのVTRを2本視聴したのち、会の関係者や家族らが中田さんとのそれぞれの思い出を語り、中田さんが残した偉大な功績や人となりを振り返って中田さんをしのんだ。
 中田政子さんは、母親の三木谷君子さんが1945年3月17日に兵庫区の大輪田橋付近で米軍の空襲に遭った時、自身は母親のお腹の中だったが、当時1歳だった姉は爆風で飛ばされ亡くなった。その姉の無念さや戦争の悲惨さを思い、平和を強く希求する気持ちから、中田さんは1971年の神戸空襲を記録する会の結成時から会の世話人を務めた母親の活動を手伝いながら会の活動にかかわってきた。そして、1997年に初代代表の逝去後に代表に就任。その後は、神戸空襲犠牲者の合同慰霊祭の継続をはじめ、戦跡ウォークの開始(1999年から)、第30回空襲・戦災を記録する会全国連絡会の開催受け入れ(2000年7月)、学校での神戸空襲の語り部活動(2000年から)、神戸空襲犠牲者の名簿づくりと「神戸空襲を忘れない―命と平和の碑」の建立(2013年)の取り組みなど、会の活動を飛躍的に広げてきた。
  しのぶ会では、中田政子さんが身をもって示した「記録すること」、「忘れないこと」の重要な意義が改めてそれぞれに語られ、会の活動を強めていくことを再確認した。