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ハウスが並んだ「東灘駅」には3つの墓標を
寺本恵治さんの死亡事故現場に思う

2021/03/23
JR摩耶駅周辺は新しいマンションや大型店舗などが今も建設中
 党須磨総支部書記次長だった寺本恵治さんが、灘区での会議に向かう途中で不慮の交通事故に遭い亡くなってから1年が過ぎた(既報)。
 事故の現場は、JR神戸線の摩耶駅北口から水道筋方面への、細い1本の市道と都市計画道路・神若線が交わる交差点。摩耶駅はかつての東灘貨物駅跡地に2016年に開業した。そもそも摩耶駅はなぜ、どのような目的で、造られたのか。
 JR西日本が神戸市の自由通路を得て公的事業の装いを凝らし、JR貨物の所有地に新駅を設置した。場所は、信号所や操車場の建屋の跡地で、マンション用地、スーパー用地や駅ナカ病院用地として高く売れるかどうか、という観点でのみ選ばれた。駅前にふさわしい直角に交わる広い道路や、駅前広場は、いっさい考慮の外だった。地元からの新駅建設の要望は、摩耶駅にはカケラもなかった。アベノミクスとの相乗効果で公示地価も路線価も上がったが、固定資産税や相続税が上がって住民からは嘆きの声だけが聞こえてくる。線路沿いのマンション群は、山側の住宅地に立ちはだかって海風を止めてしまった。
 列車駅としての灘駅ができたとき、その東にあるので、東灘駅と改称された。分岐する神戸臨港線は、西は神戸港駅を経て川崎重工、東は神戸製鋼、摩耶埠頭を結んだ。湊川貨物駅や兵庫臨港線とともに、大陸への侵略戦争の後方支援基地であり、戦後の資本主義再建と高度成長を支えた。
 1980年代、東灘駅は国鉄労働組合と労働運動を潰すための基地となった。国労組合員を異動で操車場やハウスに出勤させ、花卉(かき)や野菜の栽培に従事させた。1987年4月の民営化前から旧国鉄は職員に露骨な嫌がらせで不当配属を連発した。電車から見えた「神戸事業所兵庫オフィス」・グリーン事業の、ハウスが並び畝が線路のように伸びる風景は、「国鉄は赤字」という印象操作に貢献した。摩耶駅北口はこのハウスの跡地に建つ。
 仲間たちに摩耶駅は、悲しみ丸出しの愛想笑いをしている。摩耶駅には3つの墓標を建てなければならない。1つは、この駅で降りて5分後に事故に遭った寺本恵治さんのために。もう1つは、ここで農作業をした国鉄労働者と、この「人材活用センター」の墓標。そして最後の1つは、国鉄そのものの墓標である。
井上力(元神戸市会議員)