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【ピースフェスタ明石】
戦後75年 平和の大切さと命の尊さを考える 期間中2回の「市民による践祚体験談」 第16回ピースフェスタ明石 8.9〜23

2020/09/15

80人を超える参加者の前で壮絶な自らの戦争体験を92歳になる大野美恵子さんが語った=8月10日、明石市

 平和の大切さや命の尊さについて考えるイベント「第16回ピースフェスタ明石〜平和・いのち・子ども〜」が8月9日〜23日、アスピア明石(ウィズあかし) で行われた。今年は新型ウイルス感染症対策のために規模を縮小しての開催となったが、多くの市民が足を運んだ。主催したのは、明石地労協人権平和センターなどでつくる同フェスタ実行委員会。
 フェスタの期間中を通じて、「『原爆と人間』パネル展示」と、フォトジャーナリストの「安田菜津紀『世界と日本の子どもたち』写真展」がそれぞれ7、8階のウォールギャラリーで行われたほか、8月10日と22日には連続2回の「市民による戦争体験談の集い 〜生き残っている者の使命として〜」が8階フリースペースで行われた。
 10日の第1回目の戦争体験談の集いは、元川崎航空機診療所(明石市)勤務の大野美恵子さん(92歳)のお話。
 同時に予定されていた元明石局電話交換手の炭谷光世さん(93歳)のお話は、炭谷さんの体調不良のため代読というかたちになった。
 親子連れや学生など幅広い年齢層の市民が会場いっぱいの80人あまり集まった前で大野さんは体験談を始めた。
 大野さんが外勤している時、職場が本格的な空襲に遭った。職場に戻ると建物は跡形もなくなり、1日かけて辺りに散らばった同僚たちの腕や足、頭のない遺体を集めて棺桶に入れた。またある時、明石公園に爆弾が落とされ、学徒動員で来ていた大勢が犠牲になった。同じ年ぐらいの少女を診てあげたら、髪の毛が頭皮ごとペロンととれた。上部からは助からない人には包帯を使うなと言われたが、その子の家族のことを思ってできるだけのことをした。
 そんな壮絶な体験から、大野さんは「戦争は二度とあってはいけない。私たちは子ども時代を働いて過ごすしかなく、学ぶことも好きなこともできず辛い思いをしたが、残された人生はがんばってみなさんに記憶を伝えていきたい」と力を込めた。
 発言コーナーでは、同じように戦争を経験した人、親世代が経験者だという人など、時間いっぱいになるまでたくさんの人々が思いを述べた。
 22日の第2回は元特攻少年兵の伊原昭さん(93歳)のお話で、この日も80人を超える市民が参加し、熱心に耳を傾けた。
 この連続2回の集いの様子は、明石ケーブルテレビで8月31日から9月6日の午後6時から8時の間、毎日放映された。
 また、いずれの語り部の方も戦争の記憶を引き継ぎたいと新聞の取材も受けている。ぜひこの機会にインターネットなどでチェックしてほしい。
(岡崎彩子)


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