トピックス

井上力・元神戸市議の急逝を悼む
常に党の組織づくりを追求

2024/12/25
 井上力さんが逝去された。ここ数年間は癌を患い、闘病生活を送りながらも、若い人たちとの勉強会や新社会党の活動、市民デモHYOGOの街頭宣伝行動などに精力的に取り組まれていた。
 私の自治会のクリスマスイベントの横一文字を井上力さんが主宰されている工房ダックスに依頼していた。「受けた」との連絡がなかったので、再度依頼したところ、その日の夜に「デザインが出来上がった。これで良いか」とのメールをいただいたのが、亡くなられた前日の夜のことだった。このメールが井上力さんからの最後の連絡になってしまった。
 井上力さんと私は神戸大学の先輩・後輩の関係で、同じ国維寮で生活し、旧日本社会党の専従者でもあり、同じような経過をたどった同志だった。しかも、神戸市会議員の同期。旧社会党会派の分裂から岡崎選挙、そして党そのものの分裂、阪神・淡路大震災とその後の復旧・復興、そして被災者生活支援法の成立、勝利まであと一歩まで迫った神戸市長選挙、35万人の市民が立ち上がった神戸空港の是非を問う住民投票条例の直接請求運動、これらの戦い、運動も共に担った。
 井上力さんは調査能力が高く、感性も鋭く、「いけいけ」的なところがあって、慎重派の私とはよくぶつかり合った。新社会党会派内でも鋭く意見が対立し、他の議員たちが心配するようなこともあった。
 それでも、私はこの「こだわりの強い」井上力さんを尊敬し、大好きだった。特に、市会議員をやめて県会に立候補することを私に告げた時に受けた「市会が大変な時にすべてを任せて申し訳ない」との言葉は忘れない。その後も、会うたびに「申し訳ない」と何度も言われた。
 そして、半年程前、市民デモHYOGOの街頭宣伝中に「兵庫県本部は学習と仲間づくりに力を入れるべき。そこが弱い」と言われ、私も「そう思っている」と答えたのが最後の会話になった。井上力さんは亡くなる最後まで、若い仲間との学習会を続け、新社会党の組織づくりにすべてをかけていた。この想いと姿勢を学び実践することが、井上力さんの期待に応えることになるという。
 井上力さん、あなたが蒔いた種はいろんなところで実を結んできています。安らかにお眠りください。
神戸市会議員 あわはら富夫