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おんなの目(2022年11月9日号)
平和の少女像
2022/11/09
今年9月に「表現の不自由展KOBE」が開催された。「歴史と女性の人権」がテーマで、当然、「日本軍従軍『慰安婦』」に関する展示物が多く並んでいた。県庁近くの会場の周辺は右翼の車で溢れ、騒音を出し続ける物々しさだった。予想はしていたが警備の中での展覧会となった。
展覧会の発端は2015年に新宿ニコンサロンでの「慰安婦」写真展が中止されたことや、東京での国際交流展で慰安婦をテーマにした2作品が作家に知らせぬまま撤去され、表現の自由が侵されたことからだ。名古屋トリエンナーレでは市長が中止に追い込む中、安倍政権下の政府が文化事業の助成金を取り消すなど、「平和の少女像」=「慰安婦」に関することに何かと目くじらを立てる。日本の恥部である戦争犯罪をなんとしても隠し通し、無かったことにしなければならないからだ。不都合な真実は教科書からも消し去り、韓国との間は「不可逆的」という言葉を使って解決したことにした。
「平和の少女像」の作者はキム・ソギョンさんとキム・ウンソンさん夫婦。ある日の日本大使館前のハルモニの「水曜集会」を近くで見た時、1991年に慰安婦にされたことを証言したキム・ハクスンさんの姿が頭によぎり作品は生まれたとのことだ。11歳の娘さんに韓服を着せてモデルにした時のかわいい姿に、日本の植民地支配時代に連れて行かれた少女たちのことが頭に浮かび、胸が詰まったという。少女の肩にとまる小鳥は自由の象徴、苦しみに耐える心は握りしめたこぶし、像の後ろの影は老婆となった慰安婦を示している。
私はソウルにある日本大使館前の第1号の「平和の少女像」に2回会った。12月に行った時、少女像は上着に帽子、マフラーを身に着け、寒さに耐えて日本大使館を見つめ続けていた。
私が初めて「慰安婦」のことを知ったのは、アイ女性会議の旧組織「日本婦人会議」の運動のなかだった。韓国の研究者が来日され講演も聞いた。学校の歴史では全く教えられなかった少女の身に起きたショッキングな事実。女性の人権を無視した加害の事実だった。アイ女性会議として「慰安婦問題を考える会・神戸」に参加するようになって10年以上になるが、被害女性のおばあさんの話を直接聞く機会もあり、日本で逞しく生きたソン・シンドさんの映画会や写真展にもかかわった 。
彼女たちはお金が欲しくて日本政府に解決を求め、声を上げ続けているのではない。日本が加害の歴史を正しく教え、2度と戦争の準備をしないため、また、戦時性暴力を無くすために呼びかけているのだ。
日本が外国にある少女像の撤去を求めたことは恥ずかしい限りだ。ドイツやアメリカなどには16基あるそうだが、撤去を求めたのも安倍政権だった。「平和の少女像」の作家ノート『空いた椅子に刻んだ約束』の少女像建立リストでは2011年から2020年までに81基が韓国の様々な場所に設置されている。「少女像」は日本にこそ設置するべきではないのか。私たちの力不足を痛感する。(加納花枝)
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展覧会の発端は2015年に新宿ニコンサロンでの「慰安婦」写真展が中止されたことや、東京での国際交流展で慰安婦をテーマにした2作品が作家に知らせぬまま撤去され、表現の自由が侵されたことからだ。名古屋トリエンナーレでは市長が中止に追い込む中、安倍政権下の政府が文化事業の助成金を取り消すなど、「平和の少女像」=「慰安婦」に関することに何かと目くじらを立てる。日本の恥部である戦争犯罪をなんとしても隠し通し、無かったことにしなければならないからだ。不都合な真実は教科書からも消し去り、韓国との間は「不可逆的」という言葉を使って解決したことにした。
「平和の少女像」の作者はキム・ソギョンさんとキム・ウンソンさん夫婦。ある日の日本大使館前のハルモニの「水曜集会」を近くで見た時、1991年に慰安婦にされたことを証言したキム・ハクスンさんの姿が頭によぎり作品は生まれたとのことだ。11歳の娘さんに韓服を着せてモデルにした時のかわいい姿に、日本の植民地支配時代に連れて行かれた少女たちのことが頭に浮かび、胸が詰まったという。少女の肩にとまる小鳥は自由の象徴、苦しみに耐える心は握りしめたこぶし、像の後ろの影は老婆となった慰安婦を示している。
私はソウルにある日本大使館前の第1号の「平和の少女像」に2回会った。12月に行った時、少女像は上着に帽子、マフラーを身に着け、寒さに耐えて日本大使館を見つめ続けていた。
私が初めて「慰安婦」のことを知ったのは、アイ女性会議の旧組織「日本婦人会議」の運動のなかだった。韓国の研究者が来日され講演も聞いた。学校の歴史では全く教えられなかった少女の身に起きたショッキングな事実。女性の人権を無視した加害の事実だった。アイ女性会議として「慰安婦問題を考える会・神戸」に参加するようになって10年以上になるが、被害女性のおばあさんの話を直接聞く機会もあり、日本で逞しく生きたソン・シンドさんの映画会や写真展にもかかわった 。
彼女たちはお金が欲しくて日本政府に解決を求め、声を上げ続けているのではない。日本が加害の歴史を正しく教え、2度と戦争の準備をしないため、また、戦時性暴力を無くすために呼びかけているのだ。
日本が外国にある少女像の撤去を求めたことは恥ずかしい限りだ。ドイツやアメリカなどには16基あるそうだが、撤去を求めたのも安倍政権だった。「平和の少女像」の作家ノート『空いた椅子に刻んだ約束』の少女像建立リストでは2011年から2020年までに81基が韓国の様々な場所に設置されている。「少女像」は日本にこそ設置するべきではないのか。私たちの力不足を痛感する。(加納花枝)