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ひょうご描き歩き132
大乗寺(応挙寺)
(美方郡香美町)
2022/09/14
応挙寺として人口に膾炙(かいしゃ)されている大乗寺は、香住海岸の南3キロほどの山里に木々に覆われて静かに佇んである。スケッチの石段を上がり山門をくぐると、正面に円山応挙の座像が据えられた客殿がある。江戸中期に建築されたこの客殿は13の部屋に襖で区切られ、丸山応挙とその門弟12名の筆になる障壁画165面があり、これらの全てが国の重要文化財に指定されている。障壁画は、仏間の十一面観世音菩薩を中心に13の部屋を荘厳し、部屋という空間に仏の世界を立体的に具現している。最晩年の大作「老松孔雀図」や深山の瀑布から流れ落ちた水がやがて大河となって大海原へと広がっていく景観の推移を見事に描いた「山水図」など、部屋を移る毎に展開される応挙とその一門による立体曼荼羅の世界に魅了される。
円山応挙は京都の生まれだが、まだ無名で貧しかった頃、この寺の当時の住職がその才能を見込んで学費を援助したことが縁で、客殿建設の際、ご恩返しとして 一門の弟子と共に障壁画を描いた。因みに雅号の円山は、当地のはるか東を流れる円山川からきている。応挙は西洋の遠近法等の手法を学び、写生を重視した親しみやすい画風の円山派の祖となった。(嶋谷)
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円山応挙は京都の生まれだが、まだ無名で貧しかった頃、この寺の当時の住職がその才能を見込んで学費を援助したことが縁で、客殿建設の際、ご恩返しとして 一門の弟子と共に障壁画を描いた。因みに雅号の円山は、当地のはるか東を流れる円山川からきている。応挙は西洋の遠近法等の手法を学び、写生を重視した親しみやすい画風の円山派の祖となった。(嶋谷)