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私の主張(2022年9月14日号)
2022/09/14
国葬強行を致命的失策に
岸田政権を追い詰めよう
自民党を蝕む深刻な「病巣」が露呈
私たちはいま、かつて経験したことがない政治状況を前にしているのではないか。国政選挙における勝利を認定され、「黄金の3年」の到来に浮き立つはずの政権が、ひと月も経たないうちに、虫に食われ腐食した立木のような様を呈している。
表向きは、軍事費は増強する、「安倍国葬」は強行すると強気であるが、岸田政権は内面では、なすすべを知らないところに追い込まれているのではないか。支持率の急落が示すように、国民をして「さすが岸田さん」と言わしめるものを失ってしまっている。もともと指導力も決断力もなく、お神輿だけには乗りたがる政治家である。担ぎ手次第であるが、そちらは統一教会の方で足腰が萎えてしまっている。
マスコミが統一教会の問題をこのように大きく取り上げたのは、当初の想定を超えるが、時間の経過とともに誰もがそれは当然であると思わざるをえないほどの深刻さが明らかになった。しかし、私たちから見れば、それは選挙の際の自民党との癒着・依存の問題であったり、霊感商法の無法な寄付の問題であったり、事の枝葉であったりで、問題の本質に十分食い込んでいるとは言えない。
文科省を含む保守・官僚勢力が、統一教会という宗教を装う闇の勢力に毛細血管に至るまで食い込まれ、手玉に取られていたということであり、岸から安倍にいたる勢力が要所で関わっていたということこそが枢要である。
矛盾に満ち満ちた「国葬」に広がる反対の声
安倍元首相の国葬をめぐって反対の世論が強まっている。江戸時代の村八分も、不祝儀は別としたように、わが国では葬儀にはやさしい対応をとるのが当たり前となっているが、それを踏まえれば、反対が過半数というのは異常な厳しさである。
口を開けば「法の支配」を強調していた政権のすることか。支出する費用は2・5億円というが、それで収まると思っている国民は1人たりともない。その中には警備費などは計上されておらず、実際にはどこまではね上がることか。国民に弔意表明は求めないというが、国民が弔意を表明するからこそ国費を使う国葬ではないのか。突っ込まれれば答弁不能の山である。
最大の問題は、安倍元首相は国葬をもって葬るに値する人物かということである。モリ・カケ・サクラで最も国民に不信を残した人物である。偽り答弁の数は動かぬ証拠である。
銃撃されたからか。だが、彼はいったい何のために、誰とたたかって銃撃されたのか。銃撃をひき起こすような政治的空気がつくり出されるために彼と彼の一党はしっかりと噛んでいなかったか。
今回の銃撃事件と安倍元首相の死との因果関係は、国民の心の中で強い像を結んでいく。国葬が挙行されることは、疑問、反対を通りこして、良心を締めつける苦痛でさえある。
不信強まる岸田政権をさらに追い詰めよう
強い国民の反対を受け国葬を中止することは、岸田首相にとって内閣総辞職なしには不可能であろう。強行しても、ここまできた国民の不信は強まることこそあれ、解消することはないであろう。しかも長く続くものとなるであろう。
かつてないほどに岸田政権に不信を持ってしまったわれわれ国民と、大きく支持を失った岸田自民党の対決はどこまで続くであろうか、どこで火花を散らすであろうか。
生活に対する怒りが燃え募るなかで、来年4月に迎える統一自治体選挙は最初の対決となるであろう。そこまでに岸田自民党政権が支持率という数字の上でどこまで落ち込んでいようと、われわれが一撃を加える力をつくり出し、突きつけることができなければ、政権を退けることはできない。
これほどに岸田政権への不信が強まっている国葬。おそらく可視できる、できないを問わず、党内や政権内に想定しなかったほどのヒビが走るであろう。国葬強行は彼らにとって思いもしなかったあとを引くエラーである。
即刻、われわれの力を点検しよう。錆びた刀を磨こう。選挙闘争組織を強化しよう。網の目を強化しよう。票を集めるたたかいにとどまらず、大衆の怒りが燃え上がるたたかいに、組織をつくり出すたたかいにしよう。
今村 稔(憲法を生かす会・灘代表世話人)
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岸田政権を追い詰めよう
自民党を蝕む深刻な「病巣」が露呈
私たちはいま、かつて経験したことがない政治状況を前にしているのではないか。国政選挙における勝利を認定され、「黄金の3年」の到来に浮き立つはずの政権が、ひと月も経たないうちに、虫に食われ腐食した立木のような様を呈している。
表向きは、軍事費は増強する、「安倍国葬」は強行すると強気であるが、岸田政権は内面では、なすすべを知らないところに追い込まれているのではないか。支持率の急落が示すように、国民をして「さすが岸田さん」と言わしめるものを失ってしまっている。もともと指導力も決断力もなく、お神輿だけには乗りたがる政治家である。担ぎ手次第であるが、そちらは統一教会の方で足腰が萎えてしまっている。
マスコミが統一教会の問題をこのように大きく取り上げたのは、当初の想定を超えるが、時間の経過とともに誰もがそれは当然であると思わざるをえないほどの深刻さが明らかになった。しかし、私たちから見れば、それは選挙の際の自民党との癒着・依存の問題であったり、霊感商法の無法な寄付の問題であったり、事の枝葉であったりで、問題の本質に十分食い込んでいるとは言えない。
文科省を含む保守・官僚勢力が、統一教会という宗教を装う闇の勢力に毛細血管に至るまで食い込まれ、手玉に取られていたということであり、岸から安倍にいたる勢力が要所で関わっていたということこそが枢要である。
矛盾に満ち満ちた「国葬」に広がる反対の声
安倍元首相の国葬をめぐって反対の世論が強まっている。江戸時代の村八分も、不祝儀は別としたように、わが国では葬儀にはやさしい対応をとるのが当たり前となっているが、それを踏まえれば、反対が過半数というのは異常な厳しさである。
口を開けば「法の支配」を強調していた政権のすることか。支出する費用は2・5億円というが、それで収まると思っている国民は1人たりともない。その中には警備費などは計上されておらず、実際にはどこまではね上がることか。国民に弔意表明は求めないというが、国民が弔意を表明するからこそ国費を使う国葬ではないのか。突っ込まれれば答弁不能の山である。
最大の問題は、安倍元首相は国葬をもって葬るに値する人物かということである。モリ・カケ・サクラで最も国民に不信を残した人物である。偽り答弁の数は動かぬ証拠である。
銃撃されたからか。だが、彼はいったい何のために、誰とたたかって銃撃されたのか。銃撃をひき起こすような政治的空気がつくり出されるために彼と彼の一党はしっかりと噛んでいなかったか。
今回の銃撃事件と安倍元首相の死との因果関係は、国民の心の中で強い像を結んでいく。国葬が挙行されることは、疑問、反対を通りこして、良心を締めつける苦痛でさえある。
不信強まる岸田政権をさらに追い詰めよう
強い国民の反対を受け国葬を中止することは、岸田首相にとって内閣総辞職なしには不可能であろう。強行しても、ここまできた国民の不信は強まることこそあれ、解消することはないであろう。しかも長く続くものとなるであろう。
かつてないほどに岸田政権に不信を持ってしまったわれわれ国民と、大きく支持を失った岸田自民党の対決はどこまで続くであろうか、どこで火花を散らすであろうか。
生活に対する怒りが燃え募るなかで、来年4月に迎える統一自治体選挙は最初の対決となるであろう。そこまでに岸田自民党政権が支持率という数字の上でどこまで落ち込んでいようと、われわれが一撃を加える力をつくり出し、突きつけることができなければ、政権を退けることはできない。
これほどに岸田政権への不信が強まっている国葬。おそらく可視できる、できないを問わず、党内や政権内に想定しなかったほどのヒビが走るであろう。国葬強行は彼らにとって思いもしなかったあとを引くエラーである。
即刻、われわれの力を点検しよう。錆びた刀を磨こう。選挙闘争組織を強化しよう。網の目を強化しよう。票を集めるたたかいにとどまらず、大衆の怒りが燃え上がるたたかいに、組織をつくり出すたたかいにしよう。
今村 稔(憲法を生かす会・灘代表世話人)