ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語59
擷秀(きっしゅう)碑

2022/08/24
初代網干町長・加藤邦太郎氏の水車業時代の功績を讃えて建てられた碑には勝海舟の直筆の字がある
 姫路市網干区余子浜の船渡八幡神社(通称・若宮神社)のすぐ横に「加藤家」の建物がある。加藤家は、江戸時代に年貢米の収受や保管、売却を行った蔵元であり、揖保川の水運を利用して廻船業を営み、醤油醸造や素麺製造も手掛けたそうで、「成田屋」と称していた。
 明治になった時、網干の初代町長になったのが、飾磨県会議員でもあった10代目当主・加藤邦太郎であった。邦太郎は、水車営業組合の頭取にも17年間在任したことがあり、その功績を讃えて水車業者の有志が1899年(明治32年)、加藤家のすぐそばにこの碑を建立したと言われている。
この碑の特徴は、碑の上部の「擷秀碑」の3文字が勝海舟の直筆であるということだ。
 建立にあたって、網干出身の元勤皇士・河野東馬に依頼し、勝海舟の部下であった海軍中将で播磨守護の傍流にあたる赤松則良経由で、当時伯爵であった勝海舟に書いてもらったのだそうだ。
 加藤家の建物は、1862年(文久2年)の建築で、2006年(平成18年)には「姫路市都市景観重要建築物」に、2010年(平成22年)には、文化庁の「登録有形文化財建造物」に指定されている。
(森山)
【メモ】山陽電鉄網干駅から南西へ徒歩約10分。