新社会兵庫ナウ

私の主張(2022年8月10日号)

2022/08/10
参院選結果に思うこと―憲法を活かす具体的政策化を
 
 参院選は、与党及び維新、国民民主党などいわゆる「改憲勢力」が3分の2以上を占める結果に終わった。選挙最終盤で安倍元首相が凶弾に倒れ、「1人区」で与野党接戦の地域では投票動向に影響を及ぼしたといえる。それを割り引いても立憲野党の後退、不振が顕著であったといえよう。新社会党が比例代表で共闘参加した社民党もかろうじて福島党首の現有1議席を確保、政党要件(2%以上)を維持した。同じく1議席獲得した新規参入組の参政党があと僅かで2議席に手が届く状況と比較すると薄氷の結果と思う。新社会党の選挙共闘やみどり、革新浮動層等の協力、支援が結集していなかったならば、国政政党としての社民党に幕が下ろされていたのではないか。今回の選挙について社民党としていかなる総括がなされるか注目される。
 新社会党の選挙結果への見解は、社民党の政党要件と福島党首の議席のいずれもが維持されてよかったと、社民党主体の見方が示され、また、若い人や新しい人が党の周辺に関わってもらいよかった、これを足かがりに自治体選挙や次の国政選挙につなげていきたいとの評価が示された。だが、率直に言ってそれは筆者とは異なる。以下、指摘していく。
 今回奮闘したおかざき彩子候補の個人名得票(新社会党支持が濃厚な票)と新社会党自治体議員輩出地域(現職および、かつて輩出)の「社民党」政党名得票(新社会党支持層と両党共闘に賛同する層、社民党員とその支持者層に分かれる)を検討しても、現職がいる地域でさえ、議員選挙得票と今回の選挙得票に大きな乖離がある。市議や県議候補を絶えず出し、他党と互角に競い合う熊本県荒尾市でも、個人票ではおかざき候補が福島党首を凌ぎ比例名簿内トップを獲得したが、政党名得票を足し合わせてみると来春の県議、市議選に暗雲をもたらす数字だ。兵庫県においても比較的得票があるとみられた阪神間で課題を残したのではないか。神戸市以西でいえば、かつて市議を抱えていた加古川、高砂、姫路の各市など失地回復の展望すら描けない結果だと思う。その意味では、久々の国政選挙でお互いを称え合い、「元気の持てる・希望の期待値の高い」評価をしたいという「情」の部分は理解できるが、客観的数字など結果から導き出す評価は「厳しいもの」でなくてはならないと考える。それなくして、来春の統一自治体選挙などあり得ない。
 それにしても、なぜかつての野党第1党の流れをくむ旧社会党グループがれいわや参政党やNHK党にどんどん追い越されていくのか、その点もしっかり考えるべきだ。これが改善されなければ、まだまだ後退を余儀なくされるだろう。筆者なりの考えを以下述べる。
 誤解を恐れず言うならば、「憲法をまもれ」「頑固に平和」の主張は一体、有権者からどういう反応をもらいたいのか、さっぱりわからない。よほどの国粋主義者ならいざ知らず、「平和を望まない」保守層はないだろう。問題は平和の中身ではないか。つまり、武装平和か軍事によらざる平和か、そこを懇切丁寧に訴えないと全く意味がない。また、「憲法をまもれ」も、いじわるな有権者から「憲法を守ったらどうなるんですか、具体的に説明してください」と問われたらどう応えるのだろう。筆者が言いたいのは、抽象的理念やアピールでは「空中戦」でしかない。なぜ、憲法をまもるのか、平和を熱心に唱えているのか、具体的政策や背景・動機をきちんと頭の中に入れ、対話者の懐に入っていかないと投票行動に結びつかない。すなわち「地上戦」をやらないとダメだということである。 
 そのための備え(日常的な政策・憲法なりの学習)をこれまでどれだけやってきたのか問われよう。
 憲法問題は憲法だけ一人歩きするものではない。私たちの暮しのすべてにかかわってくる。医療・教育・福祉・労働と様々に紐づけされる。教育政策でいえば「学費・奨学金問題」を一例としてあげたい。立憲民主党や共産党、社民党等は、「給付型奨学金・高等教育無償化」までは言う。だが、貸与終了者の返還困難者については「負担軽減」とまでしか言わない。ところが、右派政党の参政党や日本第一党などは上記に加え、返済免除制度創設や残債免除をいう。れいわの「奨学金徳政令」とほぼ同じような主張だ。つまり学費問題を入口から出口までしっかり把握し政策化しているといえる。18歳選挙権になり、どれだけインパクトがあるか。
 新興勢力が政治進出し、老舗政党が後退、退場の危機に陥る。ある意味、民意をしっかり把握しきれていない証左であろう。憲法を具体的に政策化させる、それゆえ、その根拠たる憲法は変えてはいけない。そういう思考や行動をせよと左派が厳しく突きつけられたことが今回の参院選から汲み取るべき教訓ではないかと思う。
 鈴田 渉(大阪労働学校・アソシエ、憲法・政治学研究者)