↓メインコンテンツへジャンプ
平和・
人権
・
正義
・
環境
menu
CLOSE×
トップ
トピックス
イベント
新社会兵庫新聞
新社会兵庫ナウ
改憲の動きをウオッチング
ひょうごミュージアム
バックナンバー
その他
購読募集
新社会党について
新社会党とは
入党のご案内
カンパのお願い
アクセス
議員紹介
リンク集
お問い合わせ
過去記事検索カレンダー
トップ
<
新社会兵庫新聞
<
新社会兵庫ナウ一覧
新社会兵庫ナウ
若者のひろば(2022年6月21日号)
2022/06/21
市議選挑戦で24年の職場退職
2022年6月末日をもって、24年間勤めた重症心身障害児者施設西宮すなご医療福祉センター(兵庫県西宮市)を退職いたします。これまでの人生の半分の時間を過ごした場所ですので、思い出は語り尽くせませんが字数の許す限りお話ししたいと思います。
私は報徳学園高校(兵庫県西宮市)卒業後、進学も就職もせず進路を決めかねていました。母の勧めでとりあえず西宮市の臨時職員として働くことになりました。4カ月間ゴミ収集をしました(正規職員の夏休暇の補填として6〜9月の期間の限定募集でした)。
その後、授産施設名神あけぼの園(現在は事業団委託されていますが当時は市の施設でした)に異動し3年半勤めました。そこで知り合った男性保育士の先輩に憧れ、関西保育福祉専門学校(兵庫県尼崎市)に進学することになります。当時、男性保育士が希少でした。名称も保育士と呼ばれるのはずっと後のことで、「保母さん」「保父さん」と呼ばれていました。変わったことに魅力を感じる私は「保父」という響きが気に入りました。幼稚園・保育園・児童養護施設での実習を経て、砂子療育園(西宮すなご医療福祉センターの旧名称)で実習をしました。その実習中に、就職を勧められました。私は社会を経験してからの進学でしたので、それまでの実習も高評価でした。「すなご」でも認められたという喜びもあり就職を決意しました。しかし、実際は慢性的な人手不足で実習生には誰かれとなく声を掛けていたようです。
さて、何となく始まった正規職員としての人生ですが、まさか24年間も続くとは思いませんでした。もちろん、辞めたいと思ったことは数え切れないほどありました。
しかし、続けられた理由がいくつかあります。まず第一に、父は常々「同じ職場で勤め続けるのは難しい。誰しも辞めたいと思うことはあるが、踏ん張れるかどうか。仲間を信じ大切に」と自身の経験を元に話してくれました。これまでの経緯から分かるように、私の人生の岐路は決まって誰かの「勧め」でした。しかし、採用されたからにはできるだけ長く勤めようと決意しました。
次に、働きやすい職場環境が挙げられます。確かに重労働の上、有給休暇が取得しにくい、勤務時間がルーズ等(仕事の持ち帰り等、いわゆるサービス残業が多い)、問題は山積していましたが、育児休暇の取得(施設では男性職員として初めて取得しました)や特に女性職員の出産・育児に対して助け合う雰囲気がありました。何より利用者との関わりが最大の喜びでした。
結局、就職後すぐのお話しか出来ませんでしたが、私の半生を記録した冊子「はばたけこうた」(1,000円)はまだ在庫がございます。お問い合わせは芦屋総支部(0798・32・4095)まで。(要 弘太)
※アイコンクリックでデータをご覧ください。
データ1
データ2
データ3
データ4
データ5
データ6
改憲の動きを
ウオッチング
ひょうご
ミュージアム
バックナンバー
その他
▲
page top
2022年6月末日をもって、24年間勤めた重症心身障害児者施設西宮すなご医療福祉センター(兵庫県西宮市)を退職いたします。これまでの人生の半分の時間を過ごした場所ですので、思い出は語り尽くせませんが字数の許す限りお話ししたいと思います。
私は報徳学園高校(兵庫県西宮市)卒業後、進学も就職もせず進路を決めかねていました。母の勧めでとりあえず西宮市の臨時職員として働くことになりました。4カ月間ゴミ収集をしました(正規職員の夏休暇の補填として6〜9月の期間の限定募集でした)。
その後、授産施設名神あけぼの園(現在は事業団委託されていますが当時は市の施設でした)に異動し3年半勤めました。そこで知り合った男性保育士の先輩に憧れ、関西保育福祉専門学校(兵庫県尼崎市)に進学することになります。当時、男性保育士が希少でした。名称も保育士と呼ばれるのはずっと後のことで、「保母さん」「保父さん」と呼ばれていました。変わったことに魅力を感じる私は「保父」という響きが気に入りました。幼稚園・保育園・児童養護施設での実習を経て、砂子療育園(西宮すなご医療福祉センターの旧名称)で実習をしました。その実習中に、就職を勧められました。私は社会を経験してからの進学でしたので、それまでの実習も高評価でした。「すなご」でも認められたという喜びもあり就職を決意しました。しかし、実際は慢性的な人手不足で実習生には誰かれとなく声を掛けていたようです。
さて、何となく始まった正規職員としての人生ですが、まさか24年間も続くとは思いませんでした。もちろん、辞めたいと思ったことは数え切れないほどありました。
しかし、続けられた理由がいくつかあります。まず第一に、父は常々「同じ職場で勤め続けるのは難しい。誰しも辞めたいと思うことはあるが、踏ん張れるかどうか。仲間を信じ大切に」と自身の経験を元に話してくれました。これまでの経緯から分かるように、私の人生の岐路は決まって誰かの「勧め」でした。しかし、採用されたからにはできるだけ長く勤めようと決意しました。
次に、働きやすい職場環境が挙げられます。確かに重労働の上、有給休暇が取得しにくい、勤務時間がルーズ等(仕事の持ち帰り等、いわゆるサービス残業が多い)、問題は山積していましたが、育児休暇の取得(施設では男性職員として初めて取得しました)や特に女性職員の出産・育児に対して助け合う雰囲気がありました。何より利用者との関わりが最大の喜びでした。
結局、就職後すぐのお話しか出来ませんでしたが、私の半生を記録した冊子「はばたけこうた」(1,000円)はまだ在庫がございます。お問い合わせは芦屋総支部(0798・32・4095)まで。(要 弘太)