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ひょうご碑物語55
素麺濫觴之碑(そうめんらんしょうのひ)
(姫路市林田町)
2022/04/13
麺は1700年ほど前に中国で誕生し、日本へは遣唐使によって奈良時代に伝えられた。その時の麺は「索餅」と呼ばれるものだったが、これが素麺の元祖と言われている。その後、麺を伸ばす技術が導入され、室町時代(1333年〜1573年)には現在と同じ形の素麺が作られるようになった。
播州地方の素麺づくりは古く、すでにこのころから始まったようだが、主に寺院や宮中の宴会で食され、庶民の口には入らない貴重な食べ物であった。素麺が普及したのは江戸時代からと言われ、播州では龍野藩が素麺づくりを推奨し、「素麺と言えば播州」と言われるほど評判が広がったが、粗悪品も出回るようになったため、龍野藩などの素麺業者が集まり、品質について厳しい取り決めを行った。その徹底した品質管理は、現在の「揖保乃糸」にも引き継がれている。
廃藩置県により藩の保護は失ったが、製麺業者は結束し、1887年(明治20年)、播磨国揖東西両郡素麺営業組合を設立して再出発を誓い合い、この碑を建てた。
「濫觴」(らんしょう)とは「揚子江のような大河でも源は觴(さかずき)を濫(うか)べるほどの細流にすぎない」という孔子の言葉から。
【メモ】神姫バス「林田町八幡神社」下車。徒歩5分
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播州地方の素麺づくりは古く、すでにこのころから始まったようだが、主に寺院や宮中の宴会で食され、庶民の口には入らない貴重な食べ物であった。素麺が普及したのは江戸時代からと言われ、播州では龍野藩が素麺づくりを推奨し、「素麺と言えば播州」と言われるほど評判が広がったが、粗悪品も出回るようになったため、龍野藩などの素麺業者が集まり、品質について厳しい取り決めを行った。その徹底した品質管理は、現在の「揖保乃糸」にも引き継がれている。
廃藩置県により藩の保護は失ったが、製麺業者は結束し、1887年(明治20年)、播磨国揖東西両郡素麺営業組合を設立して再出発を誓い合い、この碑を建てた。
「濫觴」(らんしょう)とは「揚子江のような大河でも源は觴(さかずき)を濫(うか)べるほどの細流にすぎない」という孔子の言葉から。
【メモ】神姫バス「林田町八幡神社」下車。徒歩5分