新社会兵庫ナウ

若者のひろば(2022年2月23日号)

2022/02/21
扇動ではなく寛容な社会を
 
テレビを見ると関西の民放では毎日のように吉村大阪府知事、松井大阪市長の両氏の顔が映り、げんなりします。まるで「大阪府神戸市」に住んでいる感覚です。
 また、創業家である橋下徹氏も同じく、「審判」を装いながら「第3の維新の選手」として「試合」に出場しています。彼らは「やっている感」をつくり出すのだけは上手で、「吉本興業の芸人」や「御用コメンテーター」を従え、自分たちの成果を強調する一方で、自分たちと敵対する人々や団体には口汚く「立憲民主党がぁ」「既得権益がぁ」などと公共の電波を使って視聴者を煽り立てています。
 私が政治に興味を持ったのはまだ10代そこそこの20年前の小泉政権の頃でしたが、彼も「ナンチャラ改革がぁ」「抵抗勢力がぁ」とマスコミを使って宣伝・攻撃し、政権を運営しましたが、結果はどうなったでしょうか。生活はよくなるどころか苦しくなりました。スーパーマーケットに並ぶ食べ物の大きさは小さくなり、実家に帰ると地元のバスが廃線になって仕方なく徒歩で帰らないといけないような社会になりました。
同じように、その後の安倍政権時には、政権内部で数々の嘘・不正などがありながら、「野党は批判ばかりという批判ばかり」で議論を有耶無耶にしてきました。
 立憲民主党の菅直人氏は自身のツイッターで橋下徹氏を「ナチスドイツのヒトラーを想起」と投稿して物議を醸しましたが、表現が適切かどうかは置いておいて、私もその通りだと思います。ナチスの戦術である、「共通の敵を作り大衆を団結させよ」「敵の悪を拡大して伝え大衆を怒らせろ」「大衆を熱狂させたまま置け。考える間を与えるな」「都合の悪い情報は一切与えるな。都合の良い情報は拡大して伝えよ」等々は、まさに維新や近年の自民党政権が行っている手法だと感じるからです。
 「正直者が馬鹿を見る」―そういった政治に絶望した私は、しばらく政治に対して関わらないようにしていましたが、昨年の衆院選で立憲民主党の井坂信彦氏を応援しました。それは、「どうか政治をあきらめないでください」という彼の言葉に共感したからです。あきらめたくなる政治が続いたこの何十年。今度こそ少しでも良いので「正直者が報われる社会」に少しでも政治が動いてくれることを期待します。
(神戸市中央区・吉野冬詩)