ひょうごミュージアム

ひょうご 碑物語
『網干駅構内列車事故慰霊碑 (姫路市網干区)』

2020/03/24
 1941年(昭和16年)9月16日の夕刻、国鉄(現JR)山陽本線網干(あぼし)駅構内で、下関発東京行き上り急行列車が赤信号を無視し、停車中の下関発京都行き普通列車に追突して、死者85人、負傷者71人にのぼる大惨事を引き起こした。
 当時は、橙信号などの中間信号には速度制限がなかったため、橙信号であったにもかかわらず減速せずに走行し、次閉塞区間の赤信号で停止できなかったものと思われる。  実は、駅で停車していた列車に私の父が乗っていた。海軍に入隊して6年目、25歳で独身だった。何か胸騒ぎがして列車を降り、プラットホームに立った時に事故は起こった、と話には聞いていたが、碑があることは最近まで知らなかった。
 碑は事故から半年後の1942年3月に建立されているが、太平洋戦争の開戦直前で、徹底した情報管制が敷かれていたためか、「事故」とは書かず、「遭難」と書かれている。  碑は、事故のない日々を祈るように近くの山からJR網干駅を見下ろしている。
【メモ】JR網干駅の北東に見える朝日山(標高88m)の山頂の真言宗大日寺(だいにちじ)境内に建立されている。JR網干駅から徒歩で20分。登山道入口にある駐車場(無料)からは徒歩10分。
(森山)
写真:駅北東の山の頂きに事故のない日を祈って駅を見下ろすように建っている
2020年3月24日号