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戦争体験を語り継ぐ
灘区で集いを開催
灘区東灘区平和マップを歩く会
2021/12/15
神戸空襲を体験した馬場章子さんのお話や亡くなった「神戸空襲を記録する会」前代表の中田政子さんの活動の歩みなどが語られた=11月21日、神戸市灘区文化センター
「灘区東灘区平和マップを歩く会」は11月21日、灘区文化センターで「戦争体験を語り継ぐ会」を開いた。34人が参加した。
会では3人が発言。馬場章子さんは、軍国少年・少女はどう育てられ、どう生きていたのか、また1945年5月11日に東灘区の魚崎で遭った米軍の爆撃では爆音や地響きの中、家に帰りたい一心で走り、直角に曲がって防空壕に飛び込んで助かった体験などを語った。聞く者にもその時の爆撃のすごさや恐怖が伝わるようだった。
吉田俊弘さんは、空襲を体験した多鹿照代さんが60年間そのことを話せずにきたことを紹介。電話局で一緒に働いていた多鹿さんら6人のうち5人が空襲時、業務を最優先したために逃げ場を失って犠牲になり、多鹿さんひとりが生き残ったのだ。16年前、中田政子さんを招いた戦争体験を伝える会に多鹿さんが参加し、「実は……」と自らの体験を初めて語り始めたのだった。
「神戸空襲を記録する会」の小城智子さんは、今年6月に亡くなった同会前代表の中田政子さんの歩みを話した。中田さんの活動の柱は、次世代に語り伝えることと、空襲で亡くなった犠牲者の名前を集めて記録し残すことだった。そのために、写真パネルの作り直し、体験談集め、戦跡ウォークの実施、学校での空襲体験のお話し会や講演会の取り組み、空襲犠牲者の名簿づくりと「いのちと平和の碑」の建立・刻銘などいろいろなことに取り組んできた。そんな中田さんの活動を伝えるニュース映像も観た。記録する会は、今後も悲惨な空襲や戦争体験を次世代に語り継ぐ活動を続け、来年には中田さんをしのぶ会を開く予定だ。
会場からも、「次世代へ繋げよう」「各地へ広げよう」との意見や非戦の思いが話された。(井上みち子)
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「灘区東灘区平和マップを歩く会」は11月21日、灘区文化センターで「戦争体験を語り継ぐ会」を開いた。34人が参加した。
会では3人が発言。馬場章子さんは、軍国少年・少女はどう育てられ、どう生きていたのか、また1945年5月11日に東灘区の魚崎で遭った米軍の爆撃では爆音や地響きの中、家に帰りたい一心で走り、直角に曲がって防空壕に飛び込んで助かった体験などを語った。聞く者にもその時の爆撃のすごさや恐怖が伝わるようだった。
吉田俊弘さんは、空襲を体験した多鹿照代さんが60年間そのことを話せずにきたことを紹介。電話局で一緒に働いていた多鹿さんら6人のうち5人が空襲時、業務を最優先したために逃げ場を失って犠牲になり、多鹿さんひとりが生き残ったのだ。16年前、中田政子さんを招いた戦争体験を伝える会に多鹿さんが参加し、「実は……」と自らの体験を初めて語り始めたのだった。
「神戸空襲を記録する会」の小城智子さんは、今年6月に亡くなった同会前代表の中田政子さんの歩みを話した。中田さんの活動の柱は、次世代に語り伝えることと、空襲で亡くなった犠牲者の名前を集めて記録し残すことだった。そのために、写真パネルの作り直し、体験談集め、戦跡ウォークの実施、学校での空襲体験のお話し会や講演会の取り組み、空襲犠牲者の名簿づくりと「いのちと平和の碑」の建立・刻銘などいろいろなことに取り組んできた。そんな中田さんの活動を伝えるニュース映像も観た。記録する会は、今後も悲惨な空襲や戦争体験を次世代に語り継ぐ活動を続け、来年には中田さんをしのぶ会を開く予定だ。
会場からも、「次世代へ繋げよう」「各地へ広げよう」との意見や非戦の思いが話された。(井上みち子)