ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語51

2021/11/30
宮本武蔵の生誕の地や生没は謎に包まれているが、高砂も生誕地として伝えられており、巨大な碑が立つ

宮本武蔵・伊織 生誕之地碑
(高砂市米田町)

 
 宮本武蔵は、その伝記に不明なところが多く、生誕の地や生没も謎に包まれている。2018年11月、私は本欄に揖保郡太子町の「宮本武蔵生誕之地碑」を紹介した。その時、美作説も存在することも紹介したが、高砂にも生誕の地があると聞き行ってみた。
 宮本武蔵の兵法書『五輪書』に「生国播磨」との記述があり、さらに、武蔵の養子・伊織が改築した泊神社(加古川市木村)の棟札に「作州(岡山県英田郡大原町)に新免という武士があり、世継ぎが無いまま死んだので、武蔵がその遺志を継ぎ、のちに宮本と氏を改める。武蔵には子が無く、伊織(武蔵の兄の子・武蔵の甥)を養子にして、伊織も宮本姓を名乗った……」とある。泊神社は、伊織が小倉藩筆頭家老になった時、武蔵の供養のため浄財を寄進して全社殿を再建したという。棟札が発見されたのは、1961年。武蔵の兄は田原と名乗り、田原一族が住んでいた米田(高砂市米田町)で武蔵と伊織は生まれたのではないかという説に、宮本一族も同意したという。
 碑は米田天神社(高砂市米田町)の前の公園横に設置されており、幅6m、高さ3mという圧倒されそうな大きさである。
【メモ】米田天神社へはJR山陽本線・宝殿駅から南へ徒歩15分。