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ひょうご描き歩き123
2021/11/17
聚遠亭(たつの市龍野町)
播磨の小京都、龍野の中心、龍野城から旧脇坂屋敷を辿って行くと、その奥に藩主脇坂氏上屋敷跡の「聚遠亭(しゅうえんてい)」がある。桃山時代の書院造を模した数寄屋風の茶室が優雅に心字池に浮いている。
この茶室、龍野藩主脇坂安宅が京都所司代の職に在って御所が炎上した際、その復興に功績があったことで時の天皇から賜ったのを移築したものと伝えられている。
ここを老中松平定信が訪問した時、この庭園から龍野城下町越しに淡路島や瀬戸内海の島々を眺め、その眺望が絶佳なことから「聚遠の門」と呼び、以後、「聚遠亭」と呼ばれるようになった。
聚遠亭を出て長く急な石段を上がっていくと野見宿祢神社がある。大きな石の扉のようなもので閉ざされていて中には入れない。相撲の元祖、野見宿祢が大和の国から故郷の出雲に帰る途中、この地で病死し、その死を悼んで大勢の人が川から石をリレー式に運び上げて建てた墓だと言われ、野に人が立ち並んだことから「野に立つ人」「立野」と言い、いつしか「龍野」になったとも言われているとか。ここからさらに登っていくと、アンテナが立ち並ぶ的場山(394m)の頂上に出る。(嶋谷)
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播磨の小京都、龍野の中心、龍野城から旧脇坂屋敷を辿って行くと、その奥に藩主脇坂氏上屋敷跡の「聚遠亭(しゅうえんてい)」がある。桃山時代の書院造を模した数寄屋風の茶室が優雅に心字池に浮いている。
この茶室、龍野藩主脇坂安宅が京都所司代の職に在って御所が炎上した際、その復興に功績があったことで時の天皇から賜ったのを移築したものと伝えられている。
ここを老中松平定信が訪問した時、この庭園から龍野城下町越しに淡路島や瀬戸内海の島々を眺め、その眺望が絶佳なことから「聚遠の門」と呼び、以後、「聚遠亭」と呼ばれるようになった。
聚遠亭を出て長く急な石段を上がっていくと野見宿祢神社がある。大きな石の扉のようなもので閉ざされていて中には入れない。相撲の元祖、野見宿祢が大和の国から故郷の出雲に帰る途中、この地で病死し、その死を悼んで大勢の人が川から石をリレー式に運び上げて建てた墓だと言われ、野に人が立ち並んだことから「野に立つ人」「立野」と言い、いつしか「龍野」になったとも言われているとか。ここからさらに登っていくと、アンテナが立ち並ぶ的場山(394m)の頂上に出る。(嶋谷)