ひょうごミュージアム

ひょうご描き歩き122
三木城址(三木市上の丸町)

2021/10/13
 神戸電鉄粟生線の「三木上の丸」駅の南の小高い台地に市役所、教育センター、文化会館等の公共施設が集まる一画があり、その近くに雲龍寺がある。ここには三木城主・別所長治の首塚があり、そこから少し歩くと三木城址に辿り着く。一見して広くはないこの城が、羽柴秀吉の大軍に抗して1年10カ月の長きにわたり持ちこたえたことに驚く。
 東播8郡を領した三木城主・別所長治が、織田信長の命で中国侵攻にあたった秀吉の大軍を迎え、三木城に拠り応戦、将兵とともに果敢に戦ったが、「三木の干し殺し」と呼ばれる兵糧攻めに遭い、天正8年1月、ついに諸人の命に代わって一族と共に自刃し、三木城を開城した。時に長治23歳の冬。本丸跡に長治の騎馬像が立つ。辞世の句 ∧今は唯 恨みもあらず 諸人の 命に代わる 我が身と思えば。
 この一帯、図書館や美術館、金物資料館などがあり、城址らしき雰囲気を漂わせている杜は広くはない。台地の北の一面に、丸、三角、四角の狭間のある漆喰の城壁が唯一城址の面影を残すのみ。
 眼下に美の川が流れ、三木の町並みの遥か北東に秀吉が陣を構えた平井山が望める。その麓に三木城攻防の陣中で病死した軍師竹中半兵衛の墓が祀られてある。
        (嶋谷)