新社会兵庫ナウ

おんなの目(2021年10月13日号)

2021/10/13
命の重さの軽い国
 
  8月28日のニュースの見出しにはゾッとした。「コロナ感染の要介護高齢者 自宅で支援ないまま悪化のケースも」―。千葉に住む80歳代の認知症の女性を介護する50歳代の息子がコロナに感染、翌日女性も感染し、自宅療養していたが、息子が悪化して入院。軽症だった女性は一人自宅に残され、連絡を受けた訪問看護師が駆け付けたところ、意識がもうろうとしていたのにもかかわらず、入院先も世話をするヘルパーも見つからず、看護師が数日間通って看護、食事や身の回りの支援もしたという。あと少し訪問が遅れていたら脱水等で命の危険もあったという。92歳の母を自宅介護している私は他人事ではない。
  感染した妊婦が、受け入れ先が見つからず自宅で出産し、早産の赤ちゃんが助からなかったというニュースもあった。
  これがこの国の現実だ。医療は崩壊し、医療職、介護職は疲弊して担う人材が減り、支援の必要な高齢者等は命の危険にさらされる。いかに命を大切にしない国か、ということだ。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、第6波が来るのは必至とされている。
  最近、読んだ本で相可文代さん著の『「ヒロポン」と「特攻」女学生が包んだ「覚醒剤入りチョコレート」』は様々な方の戦争体験が衝撃的だった。女学生がこんな作業に動員されていたことを初めて知って驚いたし、特にショックだったのは「生きていてはならなかった特攻兵」の項で、機体の故障や燃料漏れでやむを得ず基地に戻ってきた特攻兵が「なぜ死ななかったのか」と叱責されたうえ「振武寮」に収容され、なじられる幽閉生活を送らされ、飛び立った日付で戦死公報を作成されていた、という話で、怒りが煮えくり返る思いがした。主君のために命を捧げることが美徳とされた武士道の精神がこんなことを生じさせたのか?「お国=天皇陛下のため」の教育、プロパガンダが多くの若い命を死へ追いやった。
  未だにこの命を軽んじる精神が国の上層部にある気がしてならない。
  私はスポーツも好きだからアスリートやボランティアのことは素晴らしいと思っているが、このコロナ禍の中で無理やり開かれたオリ・パラ。その中でたびたび流された『君が代』の歌詞の意味を、歌ったアスリートや関係者、そして聞いている人々は知っているのだろうか?「象徴」になったとは言え「君が代=天皇の御代が永く続きますように」と願う歌だと私は理解している。国民の命や自由を讃える歌ではない。コロナ対策や東北の復興に当てるべき多額の費用と人材がつぎ込まれた無観客の競技場に流れる『君が代』は、いかにも今の日本の現状を表している気がして、背筋が寒くなった。
  そしてまた、この「万世一系」を信じる政治家がこの国のトップになった。「国民を幸福にする成長戦略」と言うが、いくら「新しい」と言っても経済優先の資本主義が生命を大切にするとは私には到底信じられない。ジェンダーに関しても、立ったまま両手を前に組んで控える妻の横で、食卓に座るスーツ姿の彼の写真からは、本音が見え見えで、女性や多様性を大切にするとは私にはどうしても思えないのだ。(M・K)