新社会兵庫ナウ
水脈(2021年7月27日号)
2021/07/27
拙文が掲載される今号発行時はオリンピックが開催されているのだろう。日々の憂さの開放に勝負事は昔から利用された。スポーツ観戦は、「アスリートの努力を称える」というような行儀の良さよりも、大半は贔屓の勝ち負けに我を忘れて、たとえひと時でも日々の問題から目をそらす(目をそらさせる)ことにも使われた▼ガースー以下の、国民に語る言葉を持たない政治家、官僚、財界人たちは、決行してしまえば国民多数は24時間絶え間ない(それを見るしかない)「五輪中継」漬けになる。不都合なことはそのうち忘れるとでも考えているのだろう。ニッポン、日の丸背負って、金メダルーッ!とひときわ甲高い中継の声が聞こえるようだ▼特別扱いの五輪開催の地は4度目の緊急事態宣言発出中。1年以上自己犠牲を強いられてきた人々の暮らしは崩壊寸前。大号令に振り回されながらも接種体制を整えた各自治体へのワクチン供給が行き届かない。やっと予約できた基礎疾患を持つ一般対象者の予約も取り消しだ▼虚しさや白けた空気の中の五輪開催。競技する選手たちの心情を思う。国民の暮らしとは「全く別の地平」にある政権を変えよう。今夏、私たちは日々の憂さから目をそらさない。