新社会兵庫ナウ

おんなの目(2021年7月27日号)

2021/07/27
福島の親子との出会い
 
 福島原発事故から10年。放射能から離れて一時保養を希望する親子のための日本YWCA「セカンドハウスプログラム」も10年になる。私は空き家になっていた両親の家を提供し、「大家」として神戸YWCAのメンバーと活動に参加。この間延べ72家族、250人余りの方と出会う機会をいただいた。
 「セカンドハウスプログラム」では、放射能を気にすることなく、家族で普通の暮らしをしていただく。迎える神戸YWCAメンバーとのお付き合いは、駅でのお迎え後、家でおしゃべり少々、近所のお店で歓迎夕食会、そして出発の朝のお見送りというのが、普通のパターンだ。
 震災後間もない時、お母さんから近所の方と放射能の話はしにくい、話ができるかどうかは洗濯物を家の中に干しているか、外に干しているかで判断していると聞き、被災地の人間関係の複雑さを教えられた。
 もう少し時間が経ってからは、学校で給食を食べさせるか、お弁当を持たせるか、グランドで遊ばせるか、プールに入らせるかなど、ひとつひとつの対応に苦労されていた。また、近所の人に、中には姑さんにも保養に出かけることを言えずに来ておられるという話も多々あった。
 2012年、正月に来られた家族からは震災当日の話を聞いた。ご両親は小学校と高校の教員、中学生のお兄ちゃんは当日が卒業式でいつもより早く帰宅し、ひとり家にいた。家族4人がバラバラで被災し、孤立した小学校職場におられたお母さんを除く3人が避難所で合流できたのは夜だったそうだ。お母さんの小学校でのご苦労も含めて、家族が当日の話を一緒にしたのはその時が初めてだなぁと言い合っておられたのに、びっくりした。振り返る間もなく無我夢中で来られた9ヶ月余りだったのだろう。
 消防士のお父さんからは、こんな話もあった。当日、事故発生が公表されていない時、地域の人たちにただ事でないことを伝えられないかと、仲間と一緒に昼休み時間、マスクをし、物々しい制服を着て地域を自転車で走り回られたというのだ。
 震災後、子どもたちは全国、世界からプログラムに招かれた。小6(2013年当時)のRくんも、香港やイタリアのプログラムに参加したそうだ。団体とはいえ、小さな子が親から離れて長期間辛くはなかったかと心配するが、本人はいたってクールで頼もしい。イタリアのプログラムはアリタリア航空社員の企画で、ステイ先のお母さんは観光ガイドで働くワーキングママ。留守の間は家の子たちと同じようにお小遣いをもらって、おじいさんにお世話になったそうだ。イタリアの、世界の人たちの温かい気持ちが嬉しく、感謝した。
 それまでは遠い存在の福島だったが、家を提供することで、たくさんの方々に出会い、貴重な学びがあった。今、電力会社・国は人々の生活や環境を顧みない汚染水・汚染土処理を進め、原発再稼働までしようとしているが、 福島の人たちが過ごされた10年の日々・苦労を忘れずにいたいと思う。(H.K.)