新社会兵庫ナウ

年頭寄稿(2020年1月21日号)

2020/01/21
「安倍1強」を支える“緩衝帯”にヒビ割れ
社会主義協会前代表 今村 稔
 
「問題は変革することにある」
 年初ともなると、今年1年はどうなるかと見通したくなるのは人の常である。とは言っても、宝くじを買うのも、おみくじをひくのも、易者の前で掌をひろげるのも好きではない身にとって、頼るものは「科学的分析」以外にない。
 ここ数年間、年初にこのような類のコメントや駄文を求められることが重なっているが、結果として胸を張れたためしはない。残念ながら科学的分析の得点は芳しくない。カギ括弧が必要となる所以である。もちろん「科学」に罪があるわけではない。
 罪はむしろ、進行する事象や埋もれているであろう諸要因等の変化・発展を把握し分析することに能力の貧困を示したわれわれにあるわけである。その際、見落とすことができないことは、われわれの眼力が、「問題は(解釈するにとどまらず)変革することにある」というポジティブな認識に裏付けられていたかどうかということである。
 この躊躇が、「安倍政権が良いとは思わないが、倒そうという意欲はでてこない」という無関心層、消極層に鍬を打ち込まなければならないわれわれの力を弱いものにしてきたのではないか。この反省をしっかりもって新年に立ち向かいたいものである。
何が安倍政権を支えているか
 「倒れて当然の安倍内閣が、なぜ倒れないのか」「安倍の支持率はなぜ急落しないのか」。昨年を通じて最も多く出された疑問である。
 しかし、その支持率も年末からは緩慢ながら一時的と思えない下降傾向を見せ始めている。そもそもメディアの世論調査の安倍内閣支持率は、怪しげなものを含んでいる。「不支持」は支持しないという答えをそのまま数字にしているのに対して、「支持」は積極的なものに加えて、「不支持というほどではない」「他に支持するものがないから」という「消極的なもの」「消去法的なものを含ませている。
 つまり、安倍支持の数を正確に測定すれば、本当の支持(決して多くない)を包み込む緩衝帯とでもいうべきものを加算したものなのである。国民の大部分(といっても50%を切っているのだが)が緩衝帯の役割に甘んじているからこその「安倍一強」なのである。
なにか違うぞ
 2020年を迎えて安倍政権がどうなるか、わが国の政治がどうなるかを決める鍵は、国民の多数が依然として緩衝帯に甘んじるか、かつて50年前の1970年代に経験したように、多くの国民が自らの生活と未来の主人公になろうとする積極性を取り戻すかにある。当然、われわれの任務と課題は、仲間にそれを促すことである。
 ここ数年、われわれは森友、加計、桜を見る会等、わが国の政治に正義や公正というものが腐食していくさまを見せつけられたようであった。それに対する人々の怒りがマヒしていくかのようであった。  しかし、量から質への発展ということが言われる。眠らされ、削り取られたかのような、見えない量的に積もった国民の怒りが、質的に転化する可能性は否定できない。
 年末から年初にかけて起こっている事態―カジノ疑惑、関電の腐敗やゴーン逃亡にみられるごとく経済界に君臨してきた連中の底知れぬ腐敗とヤミ世界は、緩衝帯に片足をとられている人々にも、従来の惰性を越える衝撃を与えている。
 さらに最近顕著なことは、国民をつなぎとめる役割を果たしていた政権や官僚に対する信頼の後退である。大学入試にかかわる疑問符、カジノ疑惑に垣間見える政権周辺の呆れるほどの幼稚さ、説明責任よりも沈黙という官邸の態度等々。  緩衝帯にヒビが現れ、機能不全に陥り、崩壊が始まることも予想しえない選択肢ではない。
 しかし、これらの現象は自然発生的、自動的に起こることではない。
 安倍政権の行き詰まりは、その過程が新しい勢力の成長、国民の政治的力の成長と高まりになってこそ意味がある。力となる。
 ただちに広範な、深い議論を起こそう。行動を準備しよう。