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ひょうご描き歩き 大中遺跡(加古郡播磨町)
2021/04/27
大中遺跡(加古郡播磨町)
JR土山駅から別府鉄道(1984年廃線)の線路跡を整備した遊歩道「であいの道」を辿っていくと10分あまりで大中遺跡に着く。「播磨大中古代の村」公園として整備され、弥生時代の草・茅ぶきの竪穴式住居が8軒復元されて在る。ここを地元の人は親しみをこめて「オポナカムラ(「大中村」を弥生語で言うとこうなるそうだ)」と呼ぶ。
この遺跡は印南野の大海原といわれる海抜15mほどの洪積台地の端にあって、すぐ東に喜瀬川が流れ、南西部は肥沃な沖積平野が広がっている。近くに清水が湧き出、海に近く、農耕に適していたから、太古の人々にとって住みやすい土地であったのであろう。先土器時代(約1万年前)から古墳時代(4〜6世紀)の間の遺物が出土し、最も栄えたと思われる弥生時代後期の住居跡が80軒前後発見されている。
約60年前、考古学に興味をもつ地元の中学生3人が大量の土器片を見つけ、鑑定の結果、弥生式土器だとわかり大騒ぎ。大々的に発掘調査が始まり、5年後には国指定の史跡となった。ここの出土品は西入口脇に建つ「播磨町郷土資料館」に展示されている。また、並んで県立考古博物館も建つ。(嶋谷)
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この遺跡は印南野の大海原といわれる海抜15mほどの洪積台地の端にあって、すぐ東に喜瀬川が流れ、南西部は肥沃な沖積平野が広がっている。近くに清水が湧き出、海に近く、農耕に適していたから、太古の人々にとって住みやすい土地であったのであろう。先土器時代(約1万年前)から古墳時代(4〜6世紀)の間の遺物が出土し、最も栄えたと思われる弥生時代後期の住居跡が80軒前後発見されている。
約60年前、考古学に興味をもつ地元の中学生3人が大量の土器片を見つけ、鑑定の結果、弥生式土器だとわかり大騒ぎ。大々的に発掘調査が始まり、5年後には国指定の史跡となった。ここの出土品は西入口脇に建つ「播磨町郷土資料館」に展示されている。また、並んで県立考古博物館も建つ。(嶋谷)