新社会兵庫ナウ
水脈(2021年4月13日号)
2021/04/13
土筆を「つくし」と読む人も、少なくなっただろう。それどころか、つくしを知らない、見たこともないという人も少なくはあるまい▼青空をバックに梅や桜が告げる春の訪れには華やぎを感じるが、鉄道線路の土手や川原でつくしが頭をもたげているのは、地味ではあるが、力強さに加えてユーモラスな春の目覚めを覚える。「土塊(つちくれ)を ひとつ動かし 物芽いず」と詠んだのは、虚子だったか▼笊を持たされ、つくし摘みに行ったこともあった。卵とじなどはおいしかったが、ハカマとりが厄介だった。「君がため、 春の野に出」た時代にさかのぼらずとも、かつては今よりは山野の食材に親しんでいた。春に限れば、つくし、ふきのとう、わらび、ぜんまい、たけのこ……▼当然、それらを育む土についても強い愛着を感じていたであろう。野焼きの後に萌え出る草々を待ったであろう▼思いを今の政治、社会に転じてみる。モリ、カケ、サクラに限らない汚職の数々、許せないのは当然だが、それらを糾弾する民の力、地の力もいつの間にか劣化していなかっただろうか。土塊を動かすエネルギーを弱めていなかっただろうか。根を張り、絡め合った土の力を取り戻そう。民主主義とは大地の力ではないか。