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藤原辰史氏講演要旨②
コロナ後の社会を生きる指針―異議申し立てを自粛してはならない―

2021/02/10
歴史研究からの視点でコロナ禍の問題を考える
 
 
■14世紀のペストの流行
そんな現状を念頭に置きつつ、ここからは感染症の歴史を振り返っていきたい。私が言いたいことは単純で、ひとつは、人間はあらゆるウイルスと共存する中でしか生きていけないということ。もうひとつは、感染症が起これば必ず人は差別するということである。
人類が都市というものを作った以上は感染症は生まれざるを得ない。日本でもインフルエンザで毎年10万人ずつ亡くなっており、常にウイルスと共存していかなければならない社会だった。
 さらに歴史的に見ると非常に大きなパンデミックが何度も起こっていた。
 まず、14世紀のペスト。ユダヤ人が井戸に毒を入れたからペストが起こったのだという噂が広がり、ユダヤ人の虐殺が起こった。みんなが競ってユダヤ人の処刑に志願するという、魔女狩りのようなものである。ユダヤ人が共同墓地に入れられて焼き殺されたという事例もある。こうした虐殺は必ず民衆がやる。民衆が煽り、政府がお墨付きを与える、もしくは政府が後追いをすることによってそうしたパニックは始まっていった。
日本でもいま、「ここでクラスターが起こった」「若者がクラスターを起こした」「この大学がクラスターを起こした」「医療従事者はタクシーに乗るな」……と、人々が平気でこういうことを言うような社会になってしまっている状況である。
 こんな状況に直面し、歴史研究者は一体何が言えるのか。「新型コロナウイルス」は、後世の子どもたちがその言葉を必ず覚えなければいけないような歴史用語に間違いなくなるだろう。その時、私たちは何を発言し、何を行動したのかということがすべて検証される。そういう意味でも私たちは緊張感をもって生きなければならない。どう行動するかを間違えることもあり、失敗することもあるが、失敗してももう一度立ち直ることができるためには歴史的な思考がとても重要だと思う。
 その歴史的思考の一つが教えてくれるテーマが、禍は一体どこに濃縮するのかということ。これは、私の書いた「パンデミックを生きる指針」の最大のメッセージと言ってもいいだろう。コロナのパンデミックが起こったことによって問題が発生したのではなくて、コロナはこれまでの問題を明るみに出したに過ぎない。そういう社会を変えようとしないままで、急に日本の政治家たちが弱者保護とか、弱い人たちに家賃の補助とかを言い出す。しかし、こんな社会を私たちが変えていくためには今までの社会の弱さがどこにあったのか、どう濃縮していたのかを考えなければならない。そんな時に役立つのは、ペストの歴史事象や100年前に流行したスパニッシュ・インフルエンザだと思う。
 
■100年前のスパニッシュ・インフルエンザ
 重要なことは、スパニッシュ・インフルエンザの流行は、世界中の2千万人が亡くなった第1次世界大戦の最終年のことだ。海上封鎖で食料が行き届いていなく栄養不足。それで免疫が弱いので感染しやすい状況になっていたことである。兵隊が行く前線も非常に不衛生だから感染症にかかりやすい状況になっていた。そこにスパニッシュ・インフルエンザが流行し、世界中に蔓延し、4千万人から1億人が亡くなったということを考えなくてはいけない。
 それとアメリカで爆発的に感染し、スペインではなくアメリカが中心だったのだが、兵隊が船に乗ることを通じて爆発的に感染が世界中に広まった。とくにヨーロッパで感染が広がった。第1次世界大戦ではモノと人が激しく流通していて、さらに弱い人にしわ寄せがいった。
新型コロナウイルスの生存戦略は、スパニッシュ・インフルエンザとは少し違っていて、現在のところ、弱毒性でできるだけ人間の間にいて人間を生かして分裂していくということ。また、医療技術では100年前はウイルスが病原体だとはわかっていなかった。
 しかしながら、重要なことはマスクである。100年前も、これまでほとんど馴染みのなかったマスクの効果が非常に重視されるようになった。だが、欧米の人たちはマスクが嫌いな人も多く、反マスク同盟とかによるデモもされていた。
 それから必ず感染症というのは複合的に人を襲うことも忘れてはならない。当時は貧困と飢餓が同時にあった。新型コロナウイルスは、自然災害との結合が非常に怖い。
 また、スパニッシュ・インフルエンザでも、第1、第2、第3波とあった。問題は、何もなかった時代に政府が無策だった、何かやろうとしたがうまく対応できなかったということである。今の日本でも、本来、GoToキャンペーンに政治の力を集中させるべきではなく、次の第2波、第3波に備えてできるだけケアができる体制を作っておくべきだった。しかし、それよりも経済活動を重視して、経済活動でお金を回して旅行業者を救うという循環を考えていた。そうではなくて、休業せざるを得ない人にはできるだけ厚い休業補償で保護しながら、そうしたなかで次の感染に備えていくことが何より優先させるべきことだと私は思う。
 第1次大戦時、日本もグローバル化が進んでいて、日本もスパニッシュ・インフルエンザの猛威をくらった。1920年1月11日の朝日新聞の記事を見れば、現代と同じようなことが書かれている。例えば、「この恐ろしき死亡率を見よ 流感(=スパニッシュ・インフルエンザ)の恐怖時代襲来す」とかの見出しで、マスク、外出自粛、予防注射の徹底周知がされた。今とほとんど変わらない。あるいは、「流感の暴手 諸工場を脅かす」として、カネボウの工場で女工たちの間で感染が流行した様子が報じられている。友達が多く死に、故郷にも帰れない、葬儀も行われないなど、女工の悲劇が伝えられている。
 また、今の私のように、政治を批判する学者などに「感染」という言葉を当てはまる記事も見られた。たとえば、1920年3月16日の朝日新聞の「鉄箒」というコラム欄では「思想も流感と一緒で、危険思想(社会主義やアナーキズムなど)も感染しやすい。これにはワクチンが必要だ、そのワクチンというのは国民道徳で、国民道徳をきっちり教えよう」という意見が紹介されている。
同年1月20日の朝日新聞の記事でも「大沸底の看護婦」と、
スペイン風邪を伝える当時の新聞記事


当時も病院の看護師がかなり追いやられていたことが報道されている。100年前に起こっていて、今回も同じことになると分かっていたが、日本政府は歴史の智を知らないので、看護師や医者などにどれだけしわ寄せが来るかについてイメージができなかった。
 
■抗議運動について
 抗議運動にもふれたい。
 スパニッシュ・インフルエンザの時代の時も、非常に多くの抗議運動が起こった。
第1次世界大戦で多くの人が亡くなっただけではなく、戦争の犠牲者と同様にスパニッシュ・インフルエンザでも多くの人が亡くなった。その多くは栄養失調だったり、免疫不足など、身体的・生命的な弱体化が国民に見られたことが原因だ。それは、国が国民を守らないということが明らかになったということだ。
 その結果、何が起こったか。大戦中にロシア革命が起こり、ロマノフ王朝が倒された。大戦後、ドイツ皇帝のヴィルヘルム2世が退位して長く続いたホーエンツォレルン家が倒された。オーストリア=ハンガリーの二重君主国のハプスブルク家、かつて太陽の沈むことがないと言われ、世界中を制覇したハプスブルク帝国も君主の座を追われた。トルコのオスマン朝も、戦後結局、終焉を迎える。こんなふうに次々に旧時代の政体が倒れた。もちろん、感染症が倒したのではなく、大戦後の人間のレジスタンスが倒したのだが、感染症の「抜き打ちテスト」が、結局、「国は、国は守るが、国民は守らない」という疑念を芽生えさせ、それが、現在のようなレジスタンスへと結びついたといえよう。
 今の日本でその怒りは薄いように感じられるが、世界を見渡せば、怒りに満ち溢れている。タイの民衆の大規模デモ。ベラルーシでのゼネスト。アメリカではBLM(ブラック・ライブズ・マター)が起こり、黒人だけではなく、白人も2千万人以上の人々が参加している。
当時の日本を見ると、日本もスパニッシュ・インフルエンザ流行のさなか、米騒動が起きている。米騒動は第1次世界大戦が理由だが、コメの価格が上がって生活者が生活できない。そのことがあからさまに突き付けられて、異議申し立てが出てきている。時代状況こそ当時とは違うが、歴史は、危機の時代には必ず抗議行動が起こっているということを示している。
 
【以下、次号の「講演要旨その3」=「ポストコロナの思想―何をどう変えていくのか」につづく】