新社会兵庫ナウ

おんなの目(2021年2月9日号)

2021/02/09
今なお「原子力非常事態宣言」
 福島県はまだ「原子力緊急常事態宣言」中
 2011年3月11日の福島第一原発爆発事故から間もなく10年。事故後は、今なお放射能被曝をしながらも収拾作業に携わってくれている多くの下請け労働者の皆さんに敬意を表するとともに、人の手に負えない核の問題を改めて考えさせられています。
 福島は、今なお「原子力緊急事態宣言」が発令されたままです(被ばく線量基準が一般では1m㏜/年が、福島では20m㏜/年まで許容されている)。また、福島の子どもたちの小児甲状腺ガンは、300人近い数となっているのです。世界的に小児甲状腺がんは10万人に2〜3人と言われているので、この数字は200倍〜300倍です。私は「脱原発はりまアクション」という市民運動の会に関わっていますが、そのメンバーで福島県から避難されている方のお父さん(福島県在住)が昨年、白血病で亡くなられました。他にも多くの大人も様々な病に侵されて亡くなられていることも聞いています。
 公式発表で4万人もの方(自主避難者数は政府・県も調査しない)が、福島県内だけでなく全国各地で避難生活を続けています。先祖代々住み続けてきた故郷を離れ、家族が離散し、自治会等も分断されてしまった福島。避難した当初は、避難先で多くの子どもたちが「放射能がうつる」と学校でもいじめられ、苦しめられたことはメディアでも流れました。昨年8月6日の広島での反核広島集会では、今では青年になった方が、堂々と名前も出して「自殺さえ考えた」という報告をされていました。これらの苦しみを無視し続ける自民・公明政府と原発爆発事故を起こした東京電力を私は許せません。
 
 子どもらが原告の裁判が3月1日に判決
 福島の子どもとその親が原告になって2014年8月、「子ども脱被ばく裁判」が始まりした。私は、その裁判を支援する西日本支える会の支部「加古川ひまわり」(会員10名)を作り、支援してきましたが、その裁判の判決が3月1日に迫りました。放射能の危険性(臭わない・見えない・痛くもない)を伝え、孫達らの次世代を守るため、全ての原発を廃炉にし、核廃棄物(死の灰)を出させないためには、原発を再稼働させてはなりません。私は、原発再稼働に狂奔する関西電力から新電力に変えていますが、これは私たち大人の身近な「闘い」であり、責務だと思います。
 私の居住地域には広い田畑があり川も流れています。海辺の工場の煙突から出る大気汚染はありますが、まだまだ自然豊かです。孫達と土手を散歩して見つける色鮮やかな緑の葉っぱに小さな白い花をつけた花の名前や小川の川魚の名前を帰宅してから一緒に図鑑で探したり、石の上で日向ぼっこをしている亀の動きや白鷺のひと休みを目にする日常にふれるときなど、孫達を守りたいと願わずにいられないひと時に安らぎを感じる今日この頃です。(菅野順子)