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投稿(2021年1月19日 合併号)
江戸時代のエコロジスト 安藤昌益を訪ねる東北旅行
2021/01/24
10月24日、神戸空港発、青森空港行に搭乗、東北旅行の出発である。青森県には初めて足を踏み入れた。
25日、六ケ所村に次いで本八戸(八戸駅とはJRで2駅離れている)に向かった。本八戸にはこの旅の主目的である安藤昌益資料館(地酒販売店を兼ねている)がある。ところがタクシー運転手が資料館のことを知らない。地元なのに昌益の知名度の低さには愕然とした。館内には昌益の著書『自然真営道』、『統道真伝』のコピー本や写真資料等が展示され、2階には昌益に関連した書物が並んでいた。
安藤昌益はあまり知られていないので、少し紹介する。昌益(1703年?〜1762年)は現在の秋田県大館市二井田の出身。京都で医学を修めた後、1744年から約15年の間、八戸で過ごし晩年は帰郷した。昌益は医者であったが、100巻に及ぶ『自然真営道』を著した思想家・哲学者でもあった。その思想から「世界初のエコロジスト」とも言われている。もちろん歴史的限界があり、地理的制約(東北の鎖国政策で外遊禁止)があって我々には納得しがたい所もある。また易学・儒教等は私の知識が及ばない。
原書は漢文だが訳書から幾つかを拾い読みをする。
(1)自然弁証法的な面として、「転定」(てんち=天地のこと)を言う。「転は天であり運回し、定は海で無転無動。転定にして一体なるは自然進退の一真なり、此の一真は無始無終の一真なり」。地球、宇宙の運動を捉え、抵抗要因も表している。
(2)エコロジストとして、「直耕」「直織」を促す。「人能く稲を直耕して、稲を食い、転定と与(とも)に耕業す」、山里、平原の里、海里の各々が薪炭・米・諸魚……「之を代易(かえかえ)し(中略)、彼に有る物を此の無き処に来たらしめ」と言う。但し別の所では「金は万欲・万悪の太本なり」としており、市場での交換を想定したのではなさそうだ。
(3)フェミニズム・平等論者として、「男を去りて女無く、女を去りて男無く、男女去りて転定無し」「男は二の妻妾無し、転定にして夫婦の一体」。
(4)階級社会への批判がある。「四は士農工商なり、是れ聖人の大罪・大失なり」「君の下に武士を立て衆人直耕の穀産を貪り」「農は直耕・直織・安食・安衣・無欲・無乱にして自然の転子なり」。商・工についても批判的である。(「」内は『統道真伝』上・下/奈良本辰也訳注、岩波文庫より引用)
昌益は農を中心とした無階級社会を理想としており、当時の共同体(コモン)を心中に描いていたのであろうか?
資料館を出て、市内の居住跡と思想発祥の地碑を廻った後にその夜のホテルに入った。
(垂水支部・菅沼祥三)
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25日、六ケ所村に次いで本八戸(八戸駅とはJRで2駅離れている)に向かった。本八戸にはこの旅の主目的である安藤昌益資料館(地酒販売店を兼ねている)がある。ところがタクシー運転手が資料館のことを知らない。地元なのに昌益の知名度の低さには愕然とした。館内には昌益の著書『自然真営道』、『統道真伝』のコピー本や写真資料等が展示され、2階には昌益に関連した書物が並んでいた。
安藤昌益はあまり知られていないので、少し紹介する。昌益(1703年?〜1762年)は現在の秋田県大館市二井田の出身。京都で医学を修めた後、1744年から約15年の間、八戸で過ごし晩年は帰郷した。昌益は医者であったが、100巻に及ぶ『自然真営道』を著した思想家・哲学者でもあった。その思想から「世界初のエコロジスト」とも言われている。もちろん歴史的限界があり、地理的制約(東北の鎖国政策で外遊禁止)があって我々には納得しがたい所もある。また易学・儒教等は私の知識が及ばない。
原書は漢文だが訳書から幾つかを拾い読みをする。
(1)自然弁証法的な面として、「転定」(てんち=天地のこと)を言う。「転は天であり運回し、定は海で無転無動。転定にして一体なるは自然進退の一真なり、此の一真は無始無終の一真なり」。地球、宇宙の運動を捉え、抵抗要因も表している。
(2)エコロジストとして、「直耕」「直織」を促す。「人能く稲を直耕して、稲を食い、転定と与(とも)に耕業す」、山里、平原の里、海里の各々が薪炭・米・諸魚……「之を代易(かえかえ)し(中略)、彼に有る物を此の無き処に来たらしめ」と言う。但し別の所では「金は万欲・万悪の太本なり」としており、市場での交換を想定したのではなさそうだ。
(3)フェミニズム・平等論者として、「男を去りて女無く、女を去りて男無く、男女去りて転定無し」「男は二の妻妾無し、転定にして夫婦の一体」。
(4)階級社会への批判がある。「四は士農工商なり、是れ聖人の大罪・大失なり」「君の下に武士を立て衆人直耕の穀産を貪り」「農は直耕・直織・安食・安衣・無欲・無乱にして自然の転子なり」。商・工についても批判的である。(「」内は『統道真伝』上・下/奈良本辰也訳注、岩波文庫より引用)
昌益は農を中心とした無階級社会を理想としており、当時の共同体(コモン)を心中に描いていたのであろうか?
資料館を出て、市内の居住跡と思想発祥の地碑を廻った後にその夜のホテルに入った。