新社会兵庫ナウ

水脈(2020年10月27日号)

2020/11/01
 昔、男ありけり。位、総理大臣をきわめながら漢字を不得手となす。爾後、政権内のトラウマとなりたるか、反対に漢語をもってわが身を飾り立てんとする大臣の出現しきりなり▼安倍前首相は、自らの外交を「地球儀を俯瞰する」と称した。「全方位」とか「グローバル」でいいではないか。わざわざわが眼を高きにあると誇示しなくても、と心ある人たちは苦言を呈してきた。俺は偉いんだという優位性を演出したかったのであろうか。安倍継承第一とする菅首相が、推し戴いた「総合的・俯瞰的」には、さもありなんと思ったが、こんなにも早くボロを出そうとは▼なんと、任命すべきリストも、任命拒否する6名も、任命権者たる菅首相が見ていないということが明らかになったのだ。裏を返せば、拒否の6名についてあらかじめ決めていたということである。さもなければ「総合的」に他にまかせっきりだったということか。あまりに高すぎるところから俯瞰して見えなかったということか▼2000年以上の前の焚書坑儒、500年前の「それでも地球は動いている」というガリレオの呟きを思えば、権力による学問の自由への介入・干渉・抑圧は人類の崇高な進歩に対する許すべからざる犯罪である。