ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語『中崎遊園地ラヂオ塔(明石市相生町)』

2020/09/29
ラジオの普及を目的にNHKや自治体が全国の公務員や神社に「ラヂオ塔」を設置したが、この塔は1937年に明石市が設置したもの

 灯台でも灯篭でもなさそう……。よく見ると「ラヂオ塔」の文字。1937(昭和12)年に明石市が設置した。
 ラジオの普及を目的に1925(大正14)年以降、NHKや自治体が公園や神社の境内に設置した。1923(大正12)年の関東大震災で情報がうまく伝わらずデマが蔓延したことも契機となった。太平洋戦争が始まる1941(昭和16)年には460基あったと「ラヂオ年鑑」にある。県内では湊川公園や甲子園球場前など17か所に設置された。
 NHKの「放送50年史」によると、塔の内部にスピーカーがあり、スイッチを押すと放送が10分間流れる。大相撲や野球中継には大勢が耳を傾けたという。夏休みのラジオ体操にも活用された。多くの場合、国旗掲揚台とセットで設けられており、人びとの戦意を煽る役割もあった。
 「ラヂオ塔」のある場所は、もともと明石港の掘削土砂で築堤された松林だった。1911(明治44)年に中崎公会堂と海水浴場が整備され中崎遊園地に。だが、砂浜は浸食され、海水浴場は閉鎖された。戦後になって、一帯は埋め立てられて市役所や市民会館などの用地となった。
(鍋島)
【メモ】明石市相生町。山陽電車人丸駅から南へ徒歩6分。