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ひょうご碑物語94
陸軍加古川飛行場跡の碑(加古川市尾上町池田)
2025/12/24
加古川河口東側一帯はかつて陸軍の飛行場があった場所で、その跡地の一角にある公民館には当時の貴重な資料がデジタル化され公開されている
加古川河口東側一帯は、陸軍の飛行場があった場所で、公民館はその跡地の一角にある。
同館では、飛行場建設から敗戦に至る貴重な資料がデジタル化され公開されている。「加古川飛行場を記録する会」が収集した膨大な資料集だ。
資料によれば、飛行場は、農家などを市内各所のほか加西や加東に立ち退かせて1937(昭和12)年に造られ、戦闘機部隊と飛行兵の操縦教育隊を配置。周辺には航空分廠や通信学校、高射砲隊など関連施設があった。
太平洋戦争勃発とともに、ここで編成された飛行戦隊は関西の防空はもとより、フィリピンなど で米英軍と死闘を繰り広げた。敗戦の年の4月には、全軍に特攻作戦が発令され、加古川飛行場でも、特攻部隊である「振武隊」3隊が編成され、沖縄海域での戦闘に駆り出された。また、関東・中部方面から鹿児島県知覧に向かう特攻部隊の中継基地にもなった。7月に入ると米軍の空襲は播磨地域にもおよび、明石や姫路などは大きな被害を被った。
ちなみに、鹿児島の知覧特攻平和会館には、加古川の「振武隊」隊員の遺書や母親への手紙などが多数展示されている。
(鍋島)
【メモ】公民館へはJR加古川駅南から「かこバス」で10分。
※アイコンクリックでデータをご覧ください。
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加古川河口東側一帯は、陸軍の飛行場があった場所で、公民館はその跡地の一角にある。
同館では、飛行場建設から敗戦に至る貴重な資料がデジタル化され公開されている。「加古川飛行場を記録する会」が収集した膨大な資料集だ。
資料によれば、飛行場は、農家などを市内各所のほか加西や加東に立ち退かせて1937(昭和12)年に造られ、戦闘機部隊と飛行兵の操縦教育隊を配置。周辺には航空分廠や通信学校、高射砲隊など関連施設があった。
太平洋戦争勃発とともに、ここで編成された飛行戦隊は関西の防空はもとより、フィリピンなど で米英軍と死闘を繰り広げた。敗戦の年の4月には、全軍に特攻作戦が発令され、加古川飛行場でも、特攻部隊である「振武隊」3隊が編成され、沖縄海域での戦闘に駆り出された。また、関東・中部方面から鹿児島県知覧に向かう特攻部隊の中継基地にもなった。7月に入ると米軍の空襲は播磨地域にもおよび、明石や姫路などは大きな被害を被った。
ちなみに、鹿児島の知覧特攻平和会館には、加古川の「振武隊」隊員の遺書や母親への手紙などが多数展示されている。