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【ひょうごのまちを訪ねて 加西市】
鶉野飛行場跡一帯の戦跡群を平和のための“野外博物館”に

2020/08/12

今も残る滑走路後

 加西市にはかつて旧日本海軍の基地としてつくられた鶉野(うずらの)飛行場跡がある。約1200㍍の滑走路跡も当時のまま残っている。
 1943年に建設され、戦闘機のパイロットを養成する姫路海軍航空隊がパイロットの訓練拠点として利用した。また、戦闘機「紫電」や「紫電改」を製造する川西航空機(現・新明和工業)姫路製作所鶉野工場も飛行場の南西に隣接して44年に開設され、飛行場は完成した戦闘機の試験飛行にも使われた。同工場では「紫電」「紫電改」あわせて500機余が組み立てられたという。
 戦局が悪化した45年2月、姫路城にちなんで名づけられた特攻隊「白露隊」が編成され、その年の3月に72人の特攻隊員が沖縄戦に参加のため、宇佐海軍航空隊(大分県)に向かい、さらに串良(くしら)基地(鹿児島県)へと進み、4月から5月にかけて計6回出撃して63人の若者が戦死した。滑走路跡の傍には戦死者の名や思いなどが刻まれた「平和祈念の碑」が建つ。


巨大防空壕跡

 飛行場跡の周辺には多くの防空壕跡や爆弾庫跡、対空機銃座跡などの戦争遺跡も点在する。
 4年前、国から滑走路跡地の払い下げを受けて、加西市は戦争遺跡の保存に取り組み出した。戦跡を残し、平和教育などのために活用しようとする考えからだ。2019年度には「鶉野未来課」を新設し、戦跡の保存を本格化させている。市民の協力も得て「紫電改」の実物大の模型を完成させ、その公開も行われている。 さらに、戦跡をつなぐ散策路を整備し、最寄りの北条鉄道・法華口駅からのシャトルバスの運行もある。計画では22年春に「紫電改」の模型の常設展示や観光案内所を兼ねた施設の開館もめざす。飛行場跡一帯を「フィールドミュージアム」にしようという構想だ。


その内部での巨大防空壕シアター=加西市鶉野町

 西村和平加西市長は「戦後75年が経過し、戦争体験者の高齢化が進むが、今も当時のままの状態で残る鶉野飛行場跡地を活用した平和学習の拠点整備を進め、次世代へ向けて、加西市が平和の尊さを語り継ぐ役割を担いたい」と語る。
 今年6月からは毎月第1、第3日曜日(10時〜15時)には「紫電改」の模型の一般公開が再開され、基地の発電機が置かれていた巨大防空壕跡は「巨大防空壕シアター」として白露隊の遺書などが読み上げられる映像が上映されている(1回約20分。予約制)。事前予約が必要で、問い合わせなどは加西市「鶉野未来課」(電話0790・42・8757)へ。