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【立川重則さんインタビュー】
戦後75年 被爆75年 いま改めて刻む平和への誓い 核廃絶へ被爆の実相の伝承が使命
神戸市頑張苦被害者の会・会長 立川重則さんに聞く

2020/08/12
今年も8月6日から11日まで催された「原爆と人間」写真展で立川重則さん=8月6日、神戸市中央区・デュオぎゃらりー

 今年は戦後75年。ヒロシマ・ナガサキの被爆からも75年の節目の年だ。7月29日には広島地裁での「黒い雨」訴訟をめぐり被爆者健康手帳の交付を命じる原告側勝訴の朗報もあったが、被爆者の高齢化は年々進み、平均年齢が83歳を超える。被爆体験を語り、被爆と戦争の実相を伝える被爆者の運動も困難が増す。神戸市原爆被害者の会の会長として、また、兵庫県原爆被害者団体協議会の事務局長として活動されている立川重則さん(76歳。灘区在住)にお話を伺った。
【編集部】

―立川さんが被爆されたのは何歳のときですか
立川 私が1歳半のとき。広島市の南観音町という地域で爆心地から南西へ2kmのところでした。
5人兄弟で両親と共に広島に住んでいましたが、直接被爆したのは母親と私と兄2人です。

―被爆者の運動に関わられたのはいつ頃からですか。そのきっかけは?
立川 神戸には昭和45年(1970年)頃から住んでいますが、各区で被爆者の懇談会が持たれていて、それに何度か出席しては、その中では若手の部類に入るので何かとお手伝いをするようになったのです。10年くらい前から会計係をしているうちに8年前に会長職を頼まれて受けました。

―会としてはどんな活動をされているのですか。
立川 神戸市の会として独自で地区の被爆者の懇談会をずっと持ってきています。今年はコロナのため開催は難しいですが。
 それから10年前から毎年夏には「原爆と人間」展を開いています。また、今年は3人の方に被爆体験を語ってもらうDVDも作成しました。
 県被団協の行事との関わりもあります。
 核廃絶を求めて取り組んできた「ヒバクシャ国際署名」は、9月16日に日本被団協で集約され、一応の区切りとなります。

―活動ではとくにどんなご苦労がありですか。
立川 平均年齢が83・3歳ですから、会員が減ることが一番大きな問題です。いま、会員は400人足らずですが、年間10人ほどが亡くなられて年々少なくなっています。
 また、高齢化のために、催し物に参加できる人も減ってきます。毎年平和行進に参加しますが、今年は神戸の会から参加できたのは3人だけでした。
 会員が減ってくると会計の心配も出てきます。県からの事業委託への補助や市からの助成金はある程度はあるのですが。

―会長さんの立場からとくに強く思われることはありますか?
立川 やっぱり後継者の問題です。いまある会をどんな形で存続させるのか、あるいは存続させないのか。そんなことも問われる時期に来ているのではないかと思います。
 被爆体験を語るという活動は、核廃絶のために何としても続けていかねばならないですが、被爆の実相、被爆の悲惨さの伝承をどうやってゆくのか、たいへん大きな課題です。被爆75年という年が、いろんな意味で「岐路に立つ年」だとも考えています。

―お忙しい中、たいへんありがとうございました。