新社会兵庫ナウ

私の主張
労働法改悪の動きを考える危険な意図の〝労使コミュ〞

2025/10/08
■始まった労基法のちゃぶ台返しの議論
 労働基準法制のちゃぶ台返しの議論が始まっている。労働基準関係法制研究会の報告書を受けて今年1月から始まった11回の労働政策審議会労働条件分科会議論から今夏に労基法などを見直す中間整理の報告書が予定されていた。9月4日に開催された同分科会でもその期待は裏切られた。これまで労働者、事業(場)、労使コミュニケーション、労働時間規制のあり方について議論がされてきたが、労使コミュニケーションや労働時間規制では労使間で大きく意見が対立しているからだ。労基法などの何が変わろうとしているのか。最初に労働法とは何かという「基本のキ」について復習したい。
■そもそも労働法とは何なのか
 
大阪市立大学の西谷敏名誉教授が著した『労働法』(日本評論社)の冒頭に労働法の理念とその実現方法として使用者(資本)の単独決定を規制するポイントが明記されている。
 労働法とは労働者として人間の尊厳( 憲法13条)と生存権(同25条)を保障できるよう使用者が賃金・労働条件を単独決定することを規制するものである。労働者は弱く、使用者は強いという労使関係では労働者の生存権は維持できないというのが労働法の出発点である。
 労働者保護法(労働基準法)は、罰則などによる最低基準という枠付けにより使用者の単独決定を規制するもの(強行規定)である。労働組合法は、積極的に団結権保障を行い、団体交渉を通して締結した労働協約により使用者の単独決定を規制するものである。
 このような根本原則を念頭に、今回の労基法などの改悪議論を考察しよう。現在までの議論から言えることは、労基法などの強行規定を適用除外(デロゲーション)できる仕組みの創設だけではなく、労働基本権が保障された労働組合が排除されるのではないかと危惧する。
■労働者の生存権が危うくなる
 今回の議論は、労基法、最賃法、労安法など最低基準関係法制の見直しである。労働者の生存権に関わる重大な問題といえる。労基研報告書では「労使の合意等の一定の手続きの下に個別の企業、事業場、労働者の実情に合わせて法定基準の調整・代替を法所定要件の下で可能とすることが、今後の労働基準法制の検討にあたっては重要である」と小難しい理屈が明示されている。
 端的に言えば、過半数労働組合のない場合は過半数代表者と使用者が情報共有と労使コミュニケーションにより締結した労使協定が法定最低基準を下回っていても違法とせず、それが労働条件となる。例えば、倒産しかねない危機的な会社経営の使用者による全社員の時給800円の提案が、倒産を避けたいと考える過半数代表者と合意されれば、兵庫の最低賃金1052円を下回っても違法とはならない。これでは労働者の生存権を守ることはできない。
■労働組合は会社の片隅に追いやられる
 労働側委員は、集団的労使関係の担い手は労働組合であり、労使対等ではない過半数代表制の導入ではなく、労組法の団結権を基礎とした労使対等の労働組合の強化こそが重要であると力説する。
 使用者側委員は、労働組合は否定しないが、組織率が2割に満たないなか過半数労働組合がない場合は使用者と過半数代表者との情報共有と労使コミュニケーションを通じた労使協定によるデロゲーションの仕組みは必要だと力説している。使用者側委員が力説する労組と労使コミュニケーションの併存の場合、組合費や組合活動は不要であり、労働基本権が保障されない過半数代表者制、これらと正反対の労働組合についてコスパやタイパを指向する若者はどちらを選択するかは明らかである。「悪貨は良貨を駆逐する」という諺の通り労働組合が企業の片隅に追いやられるのではないか。今回の議論は、生存権を脅かすだけでなく、団結権をも形骸化するものでもある。
■労働組合を強化する道を進もう
 最後に、憲法的価値を大切にする労働法学者の西谷労働法の「基本のキ」に立ち返り、労働法とは資本の支配や暴走により労働者の尊厳や生存権が脅かされることがないよう資本の単独決定を制限するものであると再確認しよう。
 我々は労使コミュニケーションがすべての労働者を支配する道具であると判断し、これに反対する労働組合、労働者による大衆運動を構築するとともに、団結権の行使を旨とする労使対等の労働組合を強化する道をいくら険しくとも力強く進むことに専念しよう。
菊地憲之(ひょうごユニオン事務局次長)