ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語91
篦嶋跡の碑(相生市)

2025/09/24
1991年に相生の苧谷川に相生大橋が架かりバイパス工事が完成したが、この工事のために篦嶋の北半分が削り取られたことに由来するのだろうか

 相生の篦嶋(のしま)は、すでに神功皇后の伝説の中に登場する。神功皇后が新羅国を攻撃に行く時、中国鎮護の水軍の要港であった那波の入り江に停泊し、兵団に命じて篦嶋にある箭竹を採らせた、というもの。
 今から40年ほど前までは、東から海岸沿いに進んできた国道250号線は、ここでこの篦嶋にぶつかり、やむなく800mほど北上してから苧谷(おこく)川を渡り、街並みの中を南下して赤穂方面に向かったものだ。
 1991年、念願のバイパス工事が完成した。苧谷川河口に相生大橋が架かり、東西の海岸線道路がつながり、道の駅「あいおい白龍(ペーロン)城」も道筋にオープンした。しかし、篦嶋は、この工事のために無残にも北半分が削り取られてしまった。
 この篦嶋の変遷を後世に伝えるべくこの碑が建てられたのだろうか。それを確認するために相生市役所へ赴いた。しかし、その思いは達成できなかった。碑の存在は知っているが、いつだれがどんな目的で建てたかの確証は得られなかった。今はもう、バイパスを通行することが当り前になってしまったからだろうか。34年という歳月はもう遠い過去ということなのだろうか。
(森山)
【メモ】相生市役所から南へ約200m。