ひょうごミュージアム

ひょうご描き歩き164
「明石原人」発見地(明石市大久保町)

2025/09/10
 前号で「浜の散歩道」を八木遺跡公園まで歩いた。高く伸びたヤシの木が南国情緒を醸す海岸をさらに西に進むとアカシ原人の腰の骨が見つかった場所があり、そこに説明板が立っている。1931年(昭和6年)、当時、明石に住んでいた在野の古代研究者、直良信夫氏(当時29歳、後に早稲田大教授)はこの付近の崩壊した崖の砂礫層の中に旧石器時代の人類の腰骨を発見した。戦時中にこの腰骨は焼失したが、戦後、長谷部東大教授によりニッポナントロプス=アカシエンシスの名が与えられ、一般には「明石原人」と呼ばれることになる。この直良氏をモデルにして古代史の研究家でもあった松本清張は短編小説『石の骨』を著わし、古代人の腰骨化石を発見した主人公が閉鎖的な考古学会に成果を否定されながら、在野で研究に打ち込む姿を描いている。
 この西には江井島海岸。江井島は西灘と呼ばれる酒どころ。6つある酒蔵の一つ、江井ケ島酒造が海岸沿いにあり、酒蔵見学や会食に訪れる人も。さらに西に住吉神社がある。本殿から海に向かう灯篭の並ぶ参道に立つ鳥居越しに紺碧の海が広がる。本殿裏にある藤棚は、開花の時期、見事な藤の房がしだれる。播磨地方の藤の名所で知られる。その西に埋め立てて造成された工業団地の人工島・新島が見えてきて、爽やかな海の散歩道は終わる。
(嶋谷)