ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語89
海軍営之碑(神戸市中央区諏訪山町)

2025/07/09
勝海舟の強い訴えで江戸幕府が設けた海軍の教育機関である神戸海軍操練所=海軍営のことを記した碑が1915年にこの地に移された

 「海軍営」とは、江戸幕府が設けた海軍の教育機関である「神戸海軍操練所」のこと。黒船の襲来で、海岸防備の必要が声高に叫ばれていた1863(文久3)年、徳川家茂の大阪湾防備の視察に随行した勝海舟が海軍の設立を強く訴え、これが契機となって神戸操練所が建設された。海舟の直筆の碑文には、そういった経緯が記されている。
 1864年5月に神戸村の小野浜に建設された海軍操練所は、兵学校・機関学校・造船所を備えた敷地1・7万坪の大規模なものだった。
 これに隣接して「神戸海軍塾」(勝塾)が設けられ、その塾長を坂本龍馬タが務めた。この塾には、反幕府派の藩も含め、全国から集まった200人の青年が学んだ。しかし、同年7月の「蛤御門の変」に塾生の一部が反幕府勢として参加したことから、海舟は幕府の嫌疑を受け、1865年3月に操練所は閉鎖された。
 すでに完成していた高さ2㍍の碑は、友人の邸宅内に埋められていたが、1915年に掘り出され、現在地に移された。
(鍋島)
【メモ】神戸市営地下鉄県庁前駅から北へ8分。諏訪山公園内の金星台にある。ちなみに中央区新港町には操練所があったことを示す錨型のモニュメントがある。