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ひょうご碑物語88
山本周五郎文学碑(神戸市須磨区須磨寺町)
2025/06/11
山本周五郎のデビュー作「須磨寺附近」を記念して1984年4月に須磨寺境内に建立された碑
「源平ゆかりの古刹」として知られる須磨寺。境内には20数基の句碑や歌碑が点在する。
山本周五郎の文学碑もその1つで、デビュー作「須磨寺附近」を記念して、1984年4月に建立された。この作品は、周五郎が1923年9月1日の関東大震災で被災し、約5か月間、須磨区の離宮前道に避難したときの体験が軸になっている。石碑の裏には、「貧困と病気と絶望に沈んでゐる人たちのために幸ひと安息の恵まれるように」との周五郎の思いが刻まれているが、彼の代表的な作品である「樅の木は残った」や「青べか物語」、「赤ひげ診療譚」なども同様に、庶民の立場から武士や市井人の哀感を描いており、そのやさしいまなざしが人びとを魅了する。
周五郎は尋常小学校卒業後、東京・銀座の質店・山本周五郎商店で徒弟として働いていて大震災に遭うが、ペンネームはこの質店に由来する。
避難した神戸では雑誌編集記者として急場をしのぎ、東京に帰ってからは、質店主の援助のもとで創作活動を続けた。『文藝春秋』の懸賞に投稿した「須磨寺附近」が1924年4月号に掲載されたことを機に、時代小説の第一人者としての活躍が始まった。
(鍋島)
【メモ】山陽電車・須磨寺駅下車。北へ5分。
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「源平ゆかりの古刹」として知られる須磨寺。境内には20数基の句碑や歌碑が点在する。
山本周五郎の文学碑もその1つで、デビュー作「須磨寺附近」を記念して、1984年4月に建立された。この作品は、周五郎が1923年9月1日の関東大震災で被災し、約5か月間、須磨区の離宮前道に避難したときの体験が軸になっている。石碑の裏には、「貧困と病気と絶望に沈んでゐる人たちのために幸ひと安息の恵まれるように」との周五郎の思いが刻まれているが、彼の代表的な作品である「樅の木は残った」や「青べか物語」、「赤ひげ診療譚」なども同様に、庶民の立場から武士や市井人の哀感を描いており、そのやさしいまなざしが人びとを魅了する。
周五郎は尋常小学校卒業後、東京・銀座の質店・山本周五郎商店で徒弟として働いていて大震災に遭うが、ペンネームはこの質店に由来する。
避難した神戸では雑誌編集記者として急場をしのぎ、東京に帰ってからは、質店主の援助のもとで創作活動を続けた。『文藝春秋』の懸賞に投稿した「須磨寺附近」が1924年4月号に掲載されたことを機に、時代小説の第一人者としての活躍が始まった。