新社会兵庫ナウ

おんなの目(2020年7月28日号)

2020/07/28
軍艦島をめぐる「適切な措置」 
 2015年ユネスコの世界文化遺産になった「明治日本の産業革命遺産」の取り消しが韓国政府から要求されている。登録前に韓国から端島炭鉱(「軍艦島」)について、朝鮮人徴用工が虐待されたと、問題にされ、登録時に、日本政府の代表は世界遺産委員会で「意思に反して連れてこられ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者がいた」と言明した。そのうえで、施設の設置など「犠牲者を記憶にとどめるための適切な措置」をとるとの方針を示した。
 今年6月1日、東京に「産業遺産情報センター」がオープンした。日本の資本主義の発展を担った日清戦争後の重工業の進展を写真や映像で解説しているという。朝鮮からの徴用工には動員に暴力を伴ったケースや、過酷な労働を強いたことは当時の公文書にも記されている。しかし、実際の展示には、「軍艦島」で戦時徴用された朝鮮半島出身者が働いていたことを、公文書のデジタルアーカイブでは示す一方で、「差別的対応はなかった」とする在日韓国人二世の元島民の証言を紹介しているという。また、実際に見学に行った方は、ボランティア説明員が史実も伝えずに韓国非難を続けた、と報告していた。朝日新聞社説には「明治以降の日本は多くの努力と犠牲の上にめざましい工業化を遂げた。負の側面に目を向けないというなら、遺産の輝きは衰えてしまう」とあった。
 2014年9月、全国地区労交流会が長崎であり、2日目のフィールドワークは「軍艦島」だった。1974年まで三菱の炭鉱があり、1945年には約5300人、閉山直前でも2200人の人口だったと説明された。地区労交流会資料には三菱社員の住む上層部は眺めも良いが、下の階は日照もなく、湿気がひどく、居住性は最悪だったこと、敗戦時には朝鮮人500人と中国人250人が強制労働させられていたことが書かれていた。クルーズ船のガイドはこれらに一切触れないので質問すると、「詳しいことはわからないけれど、朝鮮人はアパート1階部分に、中国人は木造の家に住み、診療所がすぐそばにあった」と説明した。一方で、台風などでは周りの高い塀を軽く越す波をかぶり、1階部分は浸水した、というからそこに住まわされて健康に働けるはずはない、と思った。また、長崎市の岡まさはる記念ナガサキ平和資料館には、当時の詳しい調査資料が展示されている。1944年の炭鉱労働者死亡率は、日本人1603人の1・93%、朝鮮人500人の2・40%、中国人205人の3・90%。朝鮮人の死亡原因は、病死60人、事故死63人。中国人病死10人、事故死5人。日本人の場合も自殺9人と、島の過酷な労働実態や日常が想像される。松坂慶子さんの父親が泳いで逃げ出したという証言もあった。多くの朝鮮人、中国人の体験者の証言も残っている。
 このような資料を見ると、今回の「産業遺産情報センター」は、日本政府のユネスコや韓国政府への約束を果たしていないのは明らかである。「適切な措置」を取ってほしい。(小城智子)