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ひょうご碑物語87
豊岡町地区整理碑(豊岡市泉町)
2025/04/23
豊岡市街の中心部のロータリーの中の公園に豊岡市の上水道建設に多大な貢献をした中江種造の像と並んで立つ
豊岡市街の中心部に3つの主要道路が交差している交差点がある。信号は無く、ロータリーになっている。日本でも数少ない国道上にあるロータリーで、大正時代にフランスのエトワール広場を参考に造られた。ロータリーの中心部は円形の公園(寿公園・直径33m)になっていて、その中央部に古河財閥を興す礎となり「鉱山王」と呼ばれた中江種造(1846年.1931年)の大きな座像が建っている。中江種造は、豊岡市の上水建設に多大な貢献をした。
旧豊岡市の上水道は、1922年(大正11年)に同市二見の湧き水を水源として通水した。当時、飲料水や生活用水は、円山川か井戸水に頼っており、旧豊岡市が衛生的な水道を造るために鉱山王として財を成した中江種造に資金供与を依頼。中江は事業収益の一部を奨学金に充てることを条件に、工事費全額の38万5千円(現在の約200億円)を寄付したと言われている。現在も毎年、水の恵みに感謝する「水道まつり」が開催されている。
中江の銅像のすぐ左にあるこの碑は、上部に「洪益」と書かれ、1931年に立てられた地区整理の碑であるというが、中江との関連は不明。
(森山)
【メモ】JR豊岡駅から寿町を北東に徒歩約15分。
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豊岡市街の中心部に3つの主要道路が交差している交差点がある。信号は無く、ロータリーになっている。日本でも数少ない国道上にあるロータリーで、大正時代にフランスのエトワール広場を参考に造られた。ロータリーの中心部は円形の公園(寿公園・直径33m)になっていて、その中央部に古河財閥を興す礎となり「鉱山王」と呼ばれた中江種造(1846年.1931年)の大きな座像が建っている。中江種造は、豊岡市の上水建設に多大な貢献をした。
旧豊岡市の上水道は、1922年(大正11年)に同市二見の湧き水を水源として通水した。当時、飲料水や生活用水は、円山川か井戸水に頼っており、旧豊岡市が衛生的な水道を造るために鉱山王として財を成した中江種造に資金供与を依頼。中江は事業収益の一部を奨学金に充てることを条件に、工事費全額の38万5千円(現在の約200億円)を寄付したと言われている。現在も毎年、水の恵みに感謝する「水道まつり」が開催されている。
中江の銅像のすぐ左にあるこの碑は、上部に「洪益」と書かれ、1931年に立てられた地区整理の碑であるというが、中江との関連は不明。